人がまだ睨み合っている。見物人も元の通りに四五人突立っている。その真上に重たい銀色の球《たま》をさし出して手を離しながら、すばやく窓を閉めて、耳の穴に指を突込んだ。建物の全体がビリビリとふるえた。
 ……それだけだった……けれども、タッタそれだけで、妾は身体《からだ》中が汗ビッショリになるほど昂奮してしまった。
 それから何十分ぐらい経っていたか、わからなかった。
 隣りの室《へや》の仕切りの大きな垂れ幕の裾にハラムの全裸体《まるはだか》の屍骸が長々と横っていた。その横の化粧部屋で、妾は久し振りにお垂髪《さげ》に結《ゆ》って、新しいフェルト草履《ぞうり》を突っかけながら、振り袖のヨソユキと着かえていた。
 それはウルフが四五日前に教えてくれたピストルの無音発射の試験を実地にやってみて、成功したばかしのところだった。妾の寝台の上にだらし[#「だらし」に傍点]なく眠りこけていたハラムの真黒い、おおきな腹の弾力が、妾の小さなブローニングの爆音を、あらかた丸呑みにしてくれたのだった。反動がずいぶん非道《ひど》くてビックリしたけども、逆手《さかて》に持った引金の引き方をウルフから教わっていたので、指を折るようなヘマな事はしなかった。その代りに手の中から飛び出したピストルが天井にぶつかって、風車のように廻転しながら床の上に落ちて、又も二三べんトンボ返りを打った。
 ハラムはそのあとからワレガネみたいな悲鳴をあげて床の上に転がり落ちた。そのまま絨毯の上をドタリドタリとノタ打ちまわると、それにつれて真赤な帯がグルグルとハラムの胴体に巻き付いて行った。
 ハラムは、その間じゅう息詰まるような唸り声をあげつづけた。
「……オヒイ……サマ……オオオヒイ……サマア……アア……アア……」
 妾はそれを見下しながら麻雀台の傍に突立っていた。「恋」というものの詰らなさ……アホラシサをゾクゾクするほど感じさせられながら、シンミリした火薬の煙と、腥《なまぐさ》い血の匂いの中に立ちすくんでいた。百五十キロもある大きな肉体が、椅子やテーブルを引っくり返して転がりまわるのを見守っていた……まだ死なないのか……まだ死なないのか……と思いながら……。



底本:「夢野久作全集6」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年3月24日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:浅原庸子
2004年2月19日作成
青空文庫作成ファイル:
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