が、元来、風来坊の川流れであった私が、それから後《のち》というものは、龍代にも負けないくらい性格の一変ぶりを見せましたもので、どこで得た知識かわかりませんが、自分でも驚くほどの才能を発揮し初めたものです。
 何よりも先に、今申しました悪支配人をタタキ出して、危機に瀕した谷山家の財政をドシドシ整理して行く片手間に、その当時まで誰も着眼していなかった、鰊《にしん》の倉庫業に成功し、谷山|燻製鰊《くんせいにしん》の販路を固めて、見る見るうちに同家万代の基礎を築き初めましたので、谷山一家の私に対する信頼は弥《いや》が上にも高まるばかり……そういう私も時折りは、吾れながらの幸福感に陶酔しいしい、モットモット優越した将来の夢を、妻の龍代と語らい誓った事もありました。
 併《しか》し今から考えますと、ソウした幸福感はホンノ束《つか》の間の夢だったのです。私の一身に絡《から》まる怪奇な因縁は、中々ソレ位の事で終結《おしまい》にはなりませんでした。
 それは私共の間に、長男の龍太郎が生れてから、一年と経たない中《うち》の事でした。
 妻の龍代が突然に……それこそホントウに突然に、カルモチン自殺を遂げてしまったのです。同時にその遺書《かきおき》によって、谷山家の内輪の人々が何故《なにゆえ》に永い間、龍代の放埒と我儘を見て見ない振りをしていたか……のみならずどこの馬の骨か、牛の糞《くそ》かわからない風来坊の川流れを、よく調べもせずに炭坑王後継者として承認したか……という理由がハッキリ判明《わか》ったのですが……斯様《かよう》申しましたら先生は、もうアラカタ事情をお察しになっているでしょう。
 谷山家は、容易に他家と婚姻出来ない、忌《い》まわしい病気を遺伝した家柄なのでした。そうしてその血統と、財産とが、同時に絶滅しかけていたところを、私のお蔭で辛うじて、繋《つな》ぎ止めたという状態なのでした。
 ところがその危なっかしい血統が、龍太郎の誕生によってヤット繋ぎ止められたと思う間もなく、龍代自身の肉体に、早くもその忌《い》まわしい遺伝病の前兆が、あらわれ初めたことがわかりましたので、まことに申訳無いが貴方に……つまり私にですね……情ない姿をお見せしないうちにお別れする決心をしました。これが妾《わたし》の最後の我儘ですから、何卒《なにとぞ》おゆるし下さい。……妾は貴方を欺《だま》すまいとした妾のまごころを、欺し得ないで貴方と結婚しました。その深い罪のお詫びは、仮令《たとえ》、この儚《はか》ない玉の緒《お》が絶えましてもキットお側に付添うて致します。……お別れしたくない……子供の事を呉々《くれぐれ》もお願いします。妾のまごころをタッタ一人信じて下さる貴方のお心に、お縋《すが》りして死んで行きます。今はただ天道様の無情を怨《うら》むばかり……といったような、それはそれは哀切を極めたものでしたが、その文句には全く泣かされましたよ。ハハイ。昔の我儘はアトカタもない。……透きとおるほどの純情と、理智とに責められた……弱々しさと美しさとに満ち満ちた……ハハイ……。
 むろんその時も私は、谷山家を出る考えなんか毛頭《もうとう》ありませんでした。ハイ。世の中の事はすべて運命ですからね。
 しかし谷山家の連中はその時に、トテモ狼狽したらしいのです。何しろ、一生懸命になって秘し匿《かく》していた、谷山家の忌《いま》わしい血統が、龍代の自殺をキッカケにして、世間に暴露しそうになったのですからね。警察と新聞社に頼み込んで極力、事情を秘密にしてもらう一方に、今となって私に逃げられては一大事と思ったのでしょう。出来るだけ早く、私の気に入るような後妻を探してやらなければ……といったような話が、まだ龍代の百ヶ日も済まないうちから、谷山家の内輪で真剣に進められる事になりました。つまりそんな連中の私に対する信頼が、イヨイヨ明日に裏書きされる段取りになって来た訳ですが、サテそれでは誰がいいか、彼がいいか……といった具体的なところまで話が進んで参りますと、不思議な事に、私の気がドウしても進まなくなって終《しま》ったのです。前に龍代と一所になった時分とは、何だか気持が違うように思われて来たのです。しかもそればかりでなく、そうした気持を自分自身でよくよく解剖してみますと、それは死んだ龍代に気兼ねをした気持でもなければ、子供の将来を心配した訳でもないように思われるのです。なぜ気が進まないのか、自分でも判然《はっきり》しないまんまに、何だか恐ろしく気が咎《とが》めるような……何かしら大切な事を忘れているのを、ヤット思い出しかけているような気がしてなりませんので、実際、吾れながら妙チキリンな自烈度《じれった》い気持になってしまったものです。ですから私は親類達への返事をいい加減にして突然、旅行に出かけたり何かしながら、色々と、その理由を考え廻してみたものですが、解らないものはイクラ考えたって解る筈がありません。のみならず、その結果スッカリ憂鬱《ゆううつ》になってしまった私は、トウトウ皆をビックリさせるような事を仕出来《しでか》してしまいました。……つまり何となく石狩川の上流に行ってみたい。どこだかわからないが自分の故郷は、石狩川の上流に在るような気がするから、そこに行ってみたら、何もかも解るに違い無い……といったような、タマラない悲壮な気持になりましたので、人知れず小型のカンバスボートや、食料などを買込みまして、無断で家を飛出しますと、一直線にエサウシの別荘に向ったものです。すると又、生憎《あいにく》なことに、ズット以前から、私のそうした素振りを不審に思って、気を付けていた者が、家《うち》の中に居りましたので、難なく途中で押えられて、小樽へ引戻されてしまったものですが……しかし先生はモウ疾《と》っくに、私のそうした気持を察しておいでになるでしょう。……ねえ先生。先生はソンナ病症の経過をイクラでも御存じでしょう。そうした不可思議極まる潜在意識の作用を、知り尽しておいでになるでしょう。
 ハハア。西洋の古い記録にはそうした実例が出ているが、先生御自身にはソンナ患者を御覧になった事が無い……それはいい都合です。私はソンナ実例の中でも特別|誂《あつら》えの標本ですからね。
 何を隠しましょう、今朝《けさ》の事です。しかもタッタ今の出来事です。私は病室の床の上にこぼれていた茶粕の上で、ウッカリ足を踏み辷《すべ》らして、ヒドク尻餅を突いたのですが、そのトタンに、トテモ素晴らしい大事件が持上ったのです。永い間忘れていた過去の記憶……石狩川に陥ち込んだ以前の、身の毛も竦立《よだ》つ記憶の数々が、一ペンにズラリッと頭の中で蘇《よみがえ》ってしまったのです。同時にモウこれで私は、自分の頭の故障から完全に解放された……と気が付きましたので、早速ながらこうして、退院のお許しを受けに参りました次第ですが……。
 ハイ……実を申しますと、この秘密をお話しするのは、私にとって身を切られるよりも辛いのです。むろん社会的にも、モノスゴイ反響を喚起《よびおこ》すに違いない重大事件ですから、万一、公表でもされますと、私を中心とする一切合財が、破滅に陥るかも知れないと思われるのですが、しかし私自身の一生涯が、この病院の中《うち》で埋れ木になるか、ならないかの境い目と思いますから、背に腹は換えられない気持ちで、先生にだけソッとお打明けする次第ですが……ハハイ……ハイ。
 先生はズット前に、誰からか、コンナ話をお聞きになった事がありましょう。
 北海道は石狩川の上流、山又山のその又奥の奥山に、一軒の原始的な小舎《こや》が建っているのが見える。その家は北面の背後を、旭岳に続く峨々《がが》たる山脈に囲まれている一方に、前面は切立ったような、石狩本流の絶壁に遮《さえぎ》られていて、人間|業《わざ》では容易に近付けない位置に在るので、ツイこの頃まで、誰にも発見されないままになっていたものらしい。
 ところが最近に到って、北海道特有の薬草|採《と》りが、霧に出会って山道に踏み迷った結果、偶然に、遠くからこの一軒屋を発見してからというもの、急に評判が高くなって、北海道中に拡がってしまった。……その一軒家は、まだ誰も知らないアイヌ部落の離れ小舎《ごや》だろうと云う者が居る。一方に、それは北海道名物の、監獄部屋から脱出した人間が、復讐《しかえし》を恐れて隠れているのだ……といったような穿《うが》った説が出るかと思うと、イヤそうではあるまい。ことによるとそれは、太古以来生き残っている原人の棲家《すみか》かも知れない……なぞと云い出す凝《こ》り屋《や》も居る。そうかと思うと……ナアニそれは薬草採りが見当違いをしたんだ。大方北見|境《ざかい》に居る猟師の家を遠くから見たんだろう……なぞと茶化《ちゃか》してしまう者も居る……といった塩梅《あんばい》で、サッパリ要領を得ないままに、噂ばかりがヤタラに高まって行った。
 そのうちにその評判が、トウトウ新聞社の耳に這入《はい》ると、イヨイヨ騒ぎが大きくなってしまった。結局Aが奉公していた小樽タイムスの政敵、函館時報社の飛行機で撮影された、その家の鳥瞰《ちょうかん》写真が、紙面一パイに掲載されることになったが、その写真をよく見ると、それは明らかに日本人が建てたらしい草葺《くさぶき》小舎で、外国映画に出て来る丸太小舎《ロッグケビン》式の恰好をしているばかりでなく、純日本式の野菜畑や、西洋式の放射状の花畑なぞが、ハッキリと映っているところを見ると、皆の想像とは全然違った文化人の住居《すまい》に違いない。しかも、それでいてその位置はというと、確かに、北海道の脊梁《せきりょう》山脈の中でも、人跡未踏の神秘境に相違ないのだから、その一軒家が何人《なんぴと》の住家であろうかは、容易に推測されない訳である。奇怪……不思議……といったような事実が、同乗の記者によって詳細に報道された。そうしてそのまま猟奇《りょうき》の輩《ともがら》の口端《くちは》に上って、色々な臆説の種になっているばかりである……という事実を、先生は多分、何かの雑誌か、新聞で御覧になった事でしょう。ハハア。まだ御覧にならない……。御研究がお忙しいのでね。成る程……それでは致し方がありませんが、何を隠しましょう、その一軒屋こそ、私が建てた愛の巣なのです。私が妻子と一所に、楽しい自給自足の生活を営んでいた、第二の故郷に相違ないのです。……イヤどうも……御免下さい。どうも胸が一パイになりまして……ハハイ……ハハイ……。私は石狩本流の絶壁から墜落したトタンに、そうした記憶をスッカリ喪《うしな》っていたのです。ええええ。事実ですとも事実ですとも……。
 私の戸籍が偽物であることは、私の生れ故郷の村役場に御照会下されば一目瞭然することです。その戸籍面を偽造して、私を初め谷山一家の人々を欺いていたのが、誰でもない、新聞記者のAだったのですからね。
 私が二度目の結婚問題に差し迫られたまま、旅行にカコ付けて家を飛び出したのも、かつは誰にも知れないようにAに面会してみたかったからでした。Aはその頃、小樽タイムスを罷《や》めて、九州地方をウロ付いているという噂でしたからね。何かしら私の過去に就いて、探りに行ったのじゃないか……といったような気がしたからです。それから二度目に、モウ一度家を脱け出した時も、そうした潜在意識に支配されていたのでしょう。何となく石狩の上流に行ってみたい。そうしたら何もかもわかるに違い無い……といったような気持になったからでした。
 併《しか》し、最早《もはや》そんな無駄骨折をする必要は無くなりました。私が完全に過去の記憶を回復しているのですからね……同時に、そのお蔭で、谷山家の養子事件を裏面《うら》からアヤツリ廻して来た、冷血残忍なAの手の動きを、ハッキリと見透かしながら、お話する事が出来るのですからね……。
 私は福岡県朝倉郡の造酒屋、畑中正作《はたなかしょうさく》の三男で、昌夫《まさお》と呼ばれていた者です。父の持山に葡萄《ぶどう》を栽培するのが目的で
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