ソン・クルーソー以上の奇談を綴るに足るものがあったのですよ。
 私は樺戸を脱出するとそのまま、持って生れた健脚を利用して、山又山を逃げ廻りながら、一心に久美子の行衛《ゆくえ》を探索し初めたものです。無論囚人服を着たままですから、夜しか人里に出られなかった訳でしたが、私は盗みというものを絶対にしない方針でしたので、どこまでも青いお仕着《しき》せ姿で、鳥獣と同じ生活をして行かなければなりませんでした。ですから、その最初の間の苦しみというものは、実に想像の外でしたが、併し又一方から申しますと、そうした辛棒のお蔭で、私の逃げ足が絶対にわからなかったのですから、詰るところ差引の損得は無かったかも知れません。のみならずその辛棒の甲斐《かい》がありまして、脱獄してから一個月目に、新旭川附近の只《と》ある村外れで、彼女が私に暗示していた、小さな奇術劇団の辻ビラがブラ下っているのを発見しました時の、私の喜びはドンナでしたろう。忽《たちま》ち勇気を百倍しました私は、アラユル危険を物ともせずに、折からの暗夜《やみよ》に紛《まぎ》れて、旭川の町にかかっているその劇団に付き纏《まと》うたものでしたが、そのうちに
前へ 次へ
全52ページ中23ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夢野 久作 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング