い風来坊の私を捉まえて、死んでも離さない決心をしたというのですから、その我儘さ加減が如何に甚《はなはだ》しいものがあったかが、アラカタお察し出来るでしょう。
 ……どうも惚《のろ》けを申上るようで恐れ入りますが……しかし又一方に、私も私です。只今申しました通りに過去の記憶を喪失《なく》していることをハッキリ自覚していたんですから、万一、ズット以前に約束した女が居はしなかったか……ぐらいの事は、その時にチョット考えてみる必要があったかも知れないのですが、ミジンもそんな事に気が付かずに……むろん私共の背後《うしろ》で、Aが赤い舌を出していようなぞとは夢にも気付かないまま、妖艶《ようえん》溌剌《はつらつ》を極めた龍代の女王ぶりに、魂を奪われてばかりおりましたのは、何といっても一生の不覚でした。或はこれが運命というものだったかも知れませんがね。……ハハハ……。
 その結果は、改めてお話する迄もなく、世間周知の事実ですから略させて頂きます。ただ私がその龍代の超特級な我儘と、A記者の不思議なほど熱心な仲介に依りまして、谷山家の養子に納まる事になりますと、何よりも先に驚かされた事実が三つありました事を、念のため申上げておきましょう。
 その第一というのは、さしもに北海道切っての放埒者《ほうらつもの》と呼ばれていた龍代が、意外にも処女であった事です。それから第二はやはりその龍代の性格が、結婚後になると急に一変して、極めて温良貞淑な、内気者に生れかわってしまったことです。
 それから今一つは少々さもしい[#「さもしい」に傍点]お話ですが、流石《さすが》の炭坑王、谷山家の財政が、その当時の炭界不況と、支配人の不正行為のために、殆んど危機に瀕《ひん》する打撃を受けていたことでした。……ですから詰るところ私は、龍代に見込まれたお蔭で、泰平無事の風来坊から一躍して、引くに引かれぬ愛慾と、黄金の地獄のマン中に、真逆様《まっさかさま》に突き落された訳で……しかもそれは私のような馬鹿を探し出すために、心にも無い放埒振りを見せていた龍代の大芝居に、マンマと首尾よく引掛けられた物……という事が結婚後、半年も経たないうちに判明して来たのです。
 しかし一方に私も今更、そうした二重の地獄から逃げ出すような、臆病者ではありませんでした。この点でもやはり龍代の見込みが百パーセントに的中していたのかも知れませんが、元来、風来坊の川流れであった私が、それから後《のち》というものは、龍代にも負けないくらい性格の一変ぶりを見せましたもので、どこで得た知識かわかりませんが、自分でも驚くほどの才能を発揮し初めたものです。
 何よりも先に、今申しました悪支配人をタタキ出して、危機に瀕した谷山家の財政をドシドシ整理して行く片手間に、その当時まで誰も着眼していなかった、鰊《にしん》の倉庫業に成功し、谷山|燻製鰊《くんせいにしん》の販路を固めて、見る見るうちに同家万代の基礎を築き初めましたので、谷山一家の私に対する信頼は弥《いや》が上にも高まるばかり……そういう私も時折りは、吾れながらの幸福感に陶酔しいしい、モットモット優越した将来の夢を、妻の龍代と語らい誓った事もありました。
 併《しか》し今から考えますと、ソウした幸福感はホンノ束《つか》の間の夢だったのです。私の一身に絡《から》まる怪奇な因縁は、中々ソレ位の事で終結《おしまい》にはなりませんでした。
 それは私共の間に、長男の龍太郎が生れてから、一年と経たない中《うち》の事でした。
 妻の龍代が突然に……それこそホントウに突然に、カルモチン自殺を遂げてしまったのです。同時にその遺書《かきおき》によって、谷山家の内輪の人々が何故《なにゆえ》に永い間、龍代の放埒と我儘を見て見ない振りをしていたか……のみならずどこの馬の骨か、牛の糞《くそ》かわからない風来坊の川流れを、よく調べもせずに炭坑王後継者として承認したか……という理由がハッキリ判明《わか》ったのですが……斯様《かよう》申しましたら先生は、もうアラカタ事情をお察しになっているでしょう。
 谷山家は、容易に他家と婚姻出来ない、忌《い》まわしい病気を遺伝した家柄なのでした。そうしてその血統と、財産とが、同時に絶滅しかけていたところを、私のお蔭で辛うじて、繋《つな》ぎ止めたという状態なのでした。
 ところがその危なっかしい血統が、龍太郎の誕生によってヤット繋ぎ止められたと思う間もなく、龍代自身の肉体に、早くもその忌《い》まわしい遺伝病の前兆が、あらわれ初めたことがわかりましたので、まことに申訳無いが貴方に……つまり私にですね……情ない姿をお見せしないうちにお別れする決心をしました。これが妾《わたし》の最後の我儘ですから、何卒《なにとぞ》おゆるし下さい。……妾は貴方を欺《だま》すまいとした妾
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