谷山家の内情……特に龍代の放埒《ほうらつ》の底意を、ドン底まで看破《みぬ》いておりましたAは、それから一か八かの芝居を巧みに打って、私を谷山家の養子に嵌《は》め込んでしまうと、いい加減な口実を作って、かなりの金を龍代から絞り取ったまま、パッタリと消息を絶ってしまったのです。
 しかもこれを見た龍代は、愚かにも、スッカリ安心してしまったものでした……というのは、つまりAが自分の註文通りに、どこか遠い処へ立去ったものと考えましたからで、こんな点では龍代も、普通の金持の子弟と同様に、お金の力を過信する傾向があったのですね。むろん私にもそれとなく打ち明けて、万事が清算済みになったつもりでいたらしいのですが、これが豈計《あにはか》らんやの思いきやでした。なかなかそれ位のことで諦らめ切れるAの悪魔趣味ではなかったのです。モットモット大きく、私共夫婦を中心とする谷山家の全体を、地獄のドン底に落ちる迄絞り上げながら、高見《たかみ》の見物をしてやろうという、その準備計画のために、ホンの暫くの間、姿を晦《くら》ましていたものに過ぎませんでした。

 Aは先ず、彼の記憶に残っている私の言葉の九州|訛《なまり》と、囚人用語との二つの手掛りを目標にして、探索の歩を進むべく、とりあえず小樽タイムスを飛び出して、九州北部の大都会、福岡市の片隅に在る小さな新聞社に就職しました。そうしてそこを中心にした同県下の警察や、新聞社方面に就いて、私の年齢に相当した前科者や、失踪者の名前を根気よく探してまわったものですが、そのうちに偶然にも、福岡市の某大新聞社に保存して在る、六七年|前《ぜん》の新聞の綴込みの中から「青年|刺客《しかく》」という大活字を添えた、私ソックリの大きな写真版を発見した時のAの驚ろきと喜びはドンナでしたろう。ほかの新聞に出ていた囚人姿や、学生姿の写真が皆、私に似ても肖付《につ》かぬ朦朧《もうろう》写真であったのに、タッタ一つその紙面にだけ掲載されていた、私の少年時代の浴衣《ゆかた》がけのソレが現在の私に酷似していたことは何という奇蹟でしたろう。
 しかもそこまでわかるとAの仕事は最早《もはや》、半分以上片付いたようなものでした。その社の整理係の連中に知れないように、精巧な写真機を担《かつ》ぎ込んで、その紙面ばかりでなく、私の生い立ちや、脱獄の記事を満載した紙面までも残らず複写して、一
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