何かしながら、色々と、その理由を考え廻してみたものですが、解らないものはイクラ考えたって解る筈がありません。のみならず、その結果スッカリ憂鬱《ゆううつ》になってしまった私は、トウトウ皆をビックリさせるような事を仕出来《しでか》してしまいました。……つまり何となく石狩川の上流に行ってみたい。どこだかわからないが自分の故郷は、石狩川の上流に在るような気がするから、そこに行ってみたら、何もかも解るに違い無い……といったような、タマラない悲壮な気持になりましたので、人知れず小型のカンバスボートや、食料などを買込みまして、無断で家を飛出しますと、一直線にエサウシの別荘に向ったものです。すると又、生憎《あいにく》なことに、ズット以前から、私のそうした素振りを不審に思って、気を付けていた者が、家《うち》の中に居りましたので、難なく途中で押えられて、小樽へ引戻されてしまったものですが……しかし先生はモウ疾《と》っくに、私のそうした気持を察しておいでになるでしょう。……ねえ先生。先生はソンナ病症の経過をイクラでも御存じでしょう。そうした不可思議極まる潜在意識の作用を、知り尽しておいでになるでしょう。
 ハハア。西洋の古い記録にはそうした実例が出ているが、先生御自身にはソンナ患者を御覧になった事が無い……それはいい都合です。私はソンナ実例の中でも特別|誂《あつら》えの標本ですからね。
 何を隠しましょう、今朝《けさ》の事です。しかもタッタ今の出来事です。私は病室の床の上にこぼれていた茶粕の上で、ウッカリ足を踏み辷《すべ》らして、ヒドク尻餅を突いたのですが、そのトタンに、トテモ素晴らしい大事件が持上ったのです。永い間忘れていた過去の記憶……石狩川に陥ち込んだ以前の、身の毛も竦立《よだ》つ記憶の数々が、一ペンにズラリッと頭の中で蘇《よみがえ》ってしまったのです。同時にモウこれで私は、自分の頭の故障から完全に解放された……と気が付きましたので、早速ながらこうして、退院のお許しを受けに参りました次第ですが……。
 ハイ……実を申しますと、この秘密をお話しするのは、私にとって身を切られるよりも辛いのです。むろん社会的にも、モノスゴイ反響を喚起《よびおこ》すに違いない重大事件ですから、万一、公表でもされますと、私を中心とする一切合財が、破滅に陥るかも知れないと思われるのですが、しかし私自身の一生涯
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