のまごころを、欺し得ないで貴方と結婚しました。その深い罪のお詫びは、仮令《たとえ》、この儚《はか》ない玉の緒《お》が絶えましてもキットお側に付添うて致します。……お別れしたくない……子供の事を呉々《くれぐれ》もお願いします。妾のまごころをタッタ一人信じて下さる貴方のお心に、お縋《すが》りして死んで行きます。今はただ天道様の無情を怨《うら》むばかり……といったような、それはそれは哀切を極めたものでしたが、その文句には全く泣かされましたよ。ハハイ。昔の我儘はアトカタもない。……透きとおるほどの純情と、理智とに責められた……弱々しさと美しさとに満ち満ちた……ハハイ……。
 むろんその時も私は、谷山家を出る考えなんか毛頭《もうとう》ありませんでした。ハイ。世の中の事はすべて運命ですからね。
 しかし谷山家の連中はその時に、トテモ狼狽したらしいのです。何しろ、一生懸命になって秘し匿《かく》していた、谷山家の忌《いま》わしい血統が、龍代の自殺をキッカケにして、世間に暴露しそうになったのですからね。警察と新聞社に頼み込んで極力、事情を秘密にしてもらう一方に、今となって私に逃げられては一大事と思ったのでしょう。出来るだけ早く、私の気に入るような後妻を探してやらなければ……といったような話が、まだ龍代の百ヶ日も済まないうちから、谷山家の内輪で真剣に進められる事になりました。つまりそんな連中の私に対する信頼が、イヨイヨ明日に裏書きされる段取りになって来た訳ですが、サテそれでは誰がいいか、彼がいいか……といった具体的なところまで話が進んで参りますと、不思議な事に、私の気がドウしても進まなくなって終《しま》ったのです。前に龍代と一所になった時分とは、何だか気持が違うように思われて来たのです。しかもそればかりでなく、そうした気持を自分自身でよくよく解剖してみますと、それは死んだ龍代に気兼ねをした気持でもなければ、子供の将来を心配した訳でもないように思われるのです。なぜ気が進まないのか、自分でも判然《はっきり》しないまんまに、何だか恐ろしく気が咎《とが》めるような……何かしら大切な事を忘れているのを、ヤット思い出しかけているような気がしてなりませんので、実際、吾れながら妙チキリンな自烈度《じれった》い気持になってしまったものです。ですから私は親類達への返事をいい加減にして突然、旅行に出かけたり
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