の穴から、ジロジロと光る眼が、一心に三好を見ているのに気が付いた。
三好は思わずドキンとした。白い大入道の中味が、生きた人間である事を発見したので……そうしてその眼の光りが、何となく見覚えがあるようで……しかも何かしらニコニコと笑っているような気はいに惹き付けられて、真正面からソーッとその暗い、繃帯の穴を覗き込んでいたが、忽ちハッと全身を固張《こわば》らせる拍子に、一尺ばかり飛上った、そのまま後《あと》も見ずに待合室を飛び出して行こうとする背後《うしろ》から、何かしら巨大な、フワフワするものが抱き付いた。振返ってみる迄もなく、それが今の白坊主である事がわかった。
「ウワアッ」
と三好は夢中になって藻掻《もが》いたが、白坊主の力は意外に強く、肩先を羽がい締めにして来るので呼吸《いき》が詰まりそうになって来た。そのうちに白坊主は三好を抱えたまま、よろよろとよろめいて背後《うしろ》の腰かけに尻餅を突いた。
「ダアッ……ガワガワガワガワ……ウガ――ッ……」
三好の叫び声を聞いた駅夫や駅員と、あとから人力車に乗って来た乗客が二三人、近寄って来たが、あんまり奇妙な光景なので、茫然として入口に突立ったまま見ていた。
その時に白坊主が、三好の耳に鼻の穴を近づけた。カスレた声で囁いた。
「……俺が誰か……わかるか……」
「ウア――ッ……ウワア――ッ……」
と三好は悲鳴を揚げて藻掻《もが》き狂った。相手の声を聞くと同時に、恐怖が数倍したらしかった。スマートな長身の若紳士が、真白い大入道に抱き付かれて、半狂乱に暴れている光景……それを通じてわかる白入道の超人的な怪力と、血も涙もない冷静な怒り……見ている連中は石のように固くなってしまった。
「……幽霊だあッ……ウワア――ッ……」
「幽霊じゃない……」
白坊主が底力のある声で云った。
「貴様に焼き殺され損のうた又野たい。死んだ三人の仇讐《かたき》をば取りに来たとたい」
「ウワーッ。助けてくれ……俺が悪かった。俺が悪かった。十二万円遣る……ホラ……」
三好が投げ出した新聞紙包みが、白坊主の肩を越して、背後《うしろ》の腰掛にドタンと落ちた。
「ハハハ。十二万円ぐらいじゃ足らん」
白坊主の声がだんだん慥《たし》かに、大きくなって来た。取巻いている人間が皆聞いていた。
「……十二万円ぐらいの事でここまで来はせん。……俺は五体中を火傷《やけはた》した儘《なり》、今朝《けさ》、製鉄所の病院で息を吹き返《かや》いた。……それでヒョッと貴様が、昨夜《ゆんべ》のうちに金を探し出いて、ここへ来はせんかと思うて、死ぬる思いで、暗いうちに病院を脱出《ぬけだ》いて、塀を乗越いて、ここへ来たんだぞ。眼の眩むほど痛いのを辛棒して待っておったんだぞ。貴様の生命《いのち》を貰おうと思うて……」
そう云ううちに白坊主は、相手の返事を聞くべく、すこしばかり両手を緩めた。
「ウワ――ッ。違う違う……皆さん。こいつの云う事は皆嘘です。キチガイです。どぞ……どうぞ……助けて下さい。僕を殺しに来ているんです。キチガイ病院から抜け出して……」
「ハハハ……何とでも云え……今度の事件は皆、貴様がたくらんだ事じゃ。戸塚に智恵を附けて、中野学士をそそのかして西村を殺させた。それから俺を使《つこ》うて、あげな非道《ひど》い事をさせたに違わん。俺は今朝《けさ》、気が付いてから色々考えとるうちに、やっとわかったんじゃ。貴様こそ、この製鉄所に入込んどる赤い主義者の頭株に違いないぞ……もう助からんぞ……」
「ウハアッ……違う違う。タ、助けて下さい。皆さん助けて下さい。……コイツはキチガイ……」
「畜生……まだ云うかッ……」
白坊主は三好を抱えたまま腰かけの上に坐り直した。両腕にグッと力を入れ初めた。
「ギャアギャアギャアギャアギャアギャア……」
それは鳥とも獣《けもの》とも付かぬ声であった。必死の努力で手足を突張りながら、白い繃帯の上から又野の両腕に噛み付いたが、何の役にも立たない事がわかると、又叫び初めた。
「ギャギャギャギャ、ギイギイギイギイッ……」
往来を通りかかっていた人が皆、走り集まって来たので待合室の中が急に、暗くなった。
その中で三好の左右の肩骨がゴクンゴクンと折れ離れる音がした。
「ダダッ。ガガッ。ギイギイギイ――ッ……」
青鬼のようになった三好の両眼が、酸漿《ほおずき》のように真赤になった……と思ううちに鼻の穴と、唇の両端から血がポタポタと滴《した》たり出した。
余りの恐ろしさに見物人がドロドロと背後《うしろ》に雪崩《なだ》れた。その背後《うしろ》から佩剣《はいけん》の音がガチャガチャと聞こえて来た。
「どこだ……どこか……」
「ここです」
「ここで絞め殺されよります」
と店員風の若い男が二人を指《ゆびさ》した。その間を押し分けた制服の巡査が、肩を怒らして這入《はい》って来たが、白い大入道に抱きすくめられて血を吐いている人間の姿を見ると、
「アッ」
と云って棒立ちになった。
その巡査の眼の前の混凝土《コンクリート》の上に又野は、三好の死骸をドタリと突き放した。血に染まった丸坊主の両腕を突出してヨロヨロと立上った。腰をかがめてヒョコリとお辞儀をした。
「酒田さん。私は昨夜《ゆんべ》、第一工場で貴方のお世話になった又野です。大|火傷《やけはた》をしました製鉄所の職工です」
「……何だ……又野か……」
巡査はホッとしたらしかった。そうして背後《うしろ》を振返りながら群衆を追い払った。
「退《の》け退けッ」
疎《まば》らになった群衆の背後《うしろ》から、今出たばかりの旭《あさひ》がキラキラと映《さ》し込んで来た。
白坊主の又野は眼を細くしてその光りを仰いだ。嬉しそうな、落付いた声で云った。
「十二万円は私の背後《うしろ》に在ります。その新聞紙包です。……私は犯人の三好を絞め殺しました。これで、やっと腹が癒《い》えました。……縛って……下さいまっせ――」
そうして気力が尽きたらしく、両手を前に突出したまま、見物人の中央にバッタリと倒おれた。
底本:「夢野久作全集10」ちくま文庫、筑摩書房
1992(平成4)年10月22日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:ちはる
2001年3月23日公開
2006年2月22日修正
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