ルルとミミ
夢野久作

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)濁《にご》って来ると、

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)只一度|微《かす》かな唸《うな》り声を出し

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 むかし、ある国に、水晶のような水が一ぱいに光っている美しい湖がありまして、そのふちに一つの小さな村がありました。そこに住んでいる人たちは親切な人ばかりで、ほんとに楽しい村でした。
 けれどもその湖の水が黒く濁《にご》って来ると、この村に何かしら悲しいことがあると云い伝えられておりました。
 この村にルルとミミという可愛らしい兄妹《きょうだい》の孤児《みなしご》が居りました。
 二人のお父さんはこの国でたった一人の上手な鐘造りで、お母さんが亡くなったあと、二人の子供を大切《だいじ》に大切に育てておりました。
 ところが或る年のこと、この村のお寺の鐘にヒビが入りましたので、村の人達に頼まれて新しく造り上げますと、どうしたわけか音がちっとも出ません。お父さんはそれを恥かしがって、或る夜、二人の兄妹を残して湖へ身を投げてしまいました。
 その時、この湖の水は一面に真黒く濁っていたのでした。そうして、ルルとミミのお父さんが身を投げると間もなく、湖はまたもとの通りに奇麗に澄み渡ってしまったのでした。
 それから後《のち》、この村のお寺の鐘を造る人はありませんでした。夜あけの鐘も夕暮れの鐘も、または休み日のお祈りの鐘もきこえないまま、何年か経ちました。
 村の人々は皆、ルルとミミを可愛がって育てました。そうして、いつもルルに云ってきかせました。
「早く大きくなって、いい鐘を作ってお寺へ上げるのだよ。死んだお父さんを喜ばせるのだよ」
 ルルはほんとにそうしたいと思いました。ミミも、早くお兄さんが鐘をお作りになればいい。それはどんなにいい音《ね》がするだろうと、楽しみで楽しみでたまりませんでした。
 二人はほんとに仲よしでした。そうしてよく湖のふちに来て、はるかにお寺の方を見ながらいつまでもいつまでも立っておりました。
「おおかたお寺の鐘撞《かねつ》き堂を見て、死んだお父さんのことを思い出しているのだろう。ほんとに可愛そうな兄妹《きょうだい》だ」
 と村の人々は云っておりました。
「水が濁るとよくないことがある」
 と云われていた湖の水晶のような水が、またもすこしずつ薄黒く濁りはじめました。村の人々は皆、どんな事が起るかと、おそろしさのあまり口を利くものもありませんでした。しまいにはみんな顔を見あわせて、ため息ばかりするようになりました。それでも湖の水は、夜があけるたんびに、いくらかずつ黒くなってゆくのでした。
 その時にルルは、お父さんが残した仕事場に這入って、一生懸命で鐘を作っていました。そうして、いよいよ一ツの美事な鐘をつくり上げましたので、喜び勇んで村の人にこの事を話しました。
「鐘が出来ました。どうぞお寺へ上げて下さい」
 村の人々はわれもわれもとルルが作った鐘を見物に来ました。その立派な恰好を撫でて見たり、又はソッとたたいて見て、その美しい音《ね》にききとれたりしましたが、みんなそのよく出来ているのに感心をしてしまいました。そうして、日をきめてお寺に上げて、この鐘を撞き鳴らして、村中でお祝いをすることになりました。
「湖の水はいくら濁ったって構うものか。鐘つくりの名人の子のルルが、死んだお父様をよろこばせたいばっかりに、あんな小さな姿《なり》をして、こんな立派な鐘をつくったのだもの、こんな芽出たいことがあるものか。この鐘を鳴らしたら、どんなわるいことでも消えてしまうにちがいない。湖の水も澄んでしまうに違いない」
 と、村の人々は喜んで勇み立ちました。
 その日はちょうどお天気のいい日でした。地にはいろいろの花が咲き乱れ、梢や空には様々の鳥が啼《な》いて、眩しいお太陽様《てんとさま》が白い雲の底からキラキラと輝いていました。村の人々は、お爺さんもお婆さんも、大人も子供も、みんな奇麗な着物を着て、ルルが作った鐘のお祝いを見にお寺をさして集まって来ました。
 お菓子屋や、オモチャ屋や、のぞき眼鏡や、風船売りや、操《あやつり》人形なぞがお寺の門の前には一パイに並んで、それはそれは賑やかなことでした。
 ルルの偉いことや、ミミの美しいことを口々に話し合っていた村の人々は、その時ピッタリと静かになりました。
 ルルが作った鐘は坊さんの手で、高く高くお寺の鐘つき堂に釣り上げられました。銀色の鐘は春のお太陽様《てんとさま》の光りを受けて、まぶしく輝きながらユラリユラリと揺れました。
 村の人々は感心のあまり溜息をしました。嬉しさの
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