レたまんま、その賭場の地下室に投《ほう》り込まれてしまいました。
ところが又、これこそ天の助けというもので御座いましょうか。変ったお方が在ればあるもので、兼ねてから刺青の研究のために姿を変えて、その賭場へ出入りして御座った香港領事のロスコーの大旦那が、大金を出して私の生命《いのち》を買って下すって、お宅の料理番にして下すったもので……ヘエ。これが御縁というもので御座いましょうか。私もソレッキリ観念致しまして、一生涯このロスコーの大旦那様に御奉公をさして頂く覚悟をきめたもので御座います。もっともロスコーの大旦那は、横浜のホリ辰の仕事ぶりについて私に色々とお尋ねになったアトで、私の刺青の写真を撮っておしまいになると、お前にはもう用はない。出て行ってもいいってんで、日本へ帰る旅費まで下すったんだが、しかし、どうも一旦、思い込んだら動きの取れないのが私の性分で……私には今一つにはその頃五つか六つぐらいでしたろうか、そのお嬢さんのマリイさんて仰言《おっしゃ》るのがスッカリ私に狃染《なじ》んでしまってトオトオトオトオってお離しにならないんで、どんなに泣いておいでになっても私が背中の黥《いれずみ》を出してお眼にかけると直ぐにお泣き止みになる位なんで、ツイずるずるベッタリになりましたようなわけで……ヘイ。
自殺をなすった若旦那のロスコー様は御養子でげす。その頃、領事館のセクリタリとかいうものを遣っておいでになったゼームスさんてえ方で、C大学を出なすった学生さんだそうで、絵がお好きなところから、先代のロスコーさんに可愛がられなすって、刺青の写真の色附けを手伝っていなさるうちに、だんだんと刺青が面白くなって来たとかいうお話で御座いましたが、このゼームスさんに、お嬢さんのマリイさんがベタ惚れなんで、とうとうロスコーの大旦那が顔負けしちゃって、お二人の関係を御承知なすって、退《の》っ引《ぴ》きならない先口をみんな断っておしまいになったというお話で御座いましたが……ところが旦那方の前でげすが、西洋人の惚れ方ってえものはヨッポド変梃《へんてこ》でネ。可笑《おか》しゅうがすよ。惚れ合えば惚れ合って来る程キチガイじみて来るようで、お父さんがお亡くなりになってから若い御夫婦でコチラへお引越しになると、二《ふた》アリがかりで色んな道具や材料を仕込んで来て、S岬のお屋敷にアンナ湯殿を作り上げて、何をなさるのかと思うと、(中略)おかしくって見ちゃいられませんでしたが、これも先代様への御恩返しのため、又一つには娘夫婦のためと思って、我慢して御奉公を致しておりましたような事で……ヘイ。
娘と申しますのは只今R市で玉突屋をやっております。今年二十五の香港生れで、親の口から申しますのも何で御座いますが、死んだ母親に似たシッカリ者で御座います。亭主と申しますのは娘より一つ年下で、今にS・L病院の医者になると申しましてR大学の四年生で勉強致しております。その養子の話によりますと、御存じか知りませんが、このS岬のマリイさんと申しますのは、愛蘭《アイルランド》人のお袋さんの血を受けているので御座いましょう。このR市中の学生さん仲間では大評判の別嬪《べっぴん》なんだそうで、大学生は申すまでもなく、生意気な中学生までが日曜になると、よく学校のボートを漕出して、このS岬へ着けてゾロゾロ見に参りましたもので御座いましたが、そのたんびに追払うのは私の役目で、中学生なんぞは丸で野良猫みたいにウルサイ奴等ばっかりで御座いました。どうかするとロスコーの若旦那と奥さんが差向いで御飯を喰べている窓|硝子《ガラス》を、カーテンの外からガタガタゆすぶる奴なんかが居りましたが、そんな時に腹を立てて真先に飛出すのは、若旦那でも私でも御座いません。いつもマリイ夫人なんで、それあトテモ気の強い方で御座いました。どうかするとキチガイみたいになってピストルを持出して、女だてらに海岸を逃げて行く学生に向ってブッ放した事もありましたが、その奥さんのピストルが又なかなかの名人らしゅう御座いましたよ。香港《ホンコン》でよく射撃の会か何かに出かけなすって、大きな銀のカップを取って御座った事なんかある位でしたから相当お得意だったので御座いましょう。逃げて行く学生の足元を射って、砂を学生の頭から引っかけたり、浪打際に揺られているボートの梶《かじ》の金具を射ち離したりなさるのには驚きました。学生たちもソンナ事で肝を潰したと見えてダンダン冷やかしに来なくなりましたが、そんな事のあるたんびに、ロスコーの若旦那は真蒼《まっさお》になって食卓にヘバリ付いてガタガタ震えて御座ったもので、丸で話がアベコベで御座いました。嘘言《うそごと》のようで御座いますがマッタクなんで……ヘイ。そんな調子で御座いますからロスコーの若旦那が自殺さっしゃったのは、タヨリにして御座った奥さんがなくなられたのを心から力落しなすったせいだろうと思いますが、飛んだ事になりまして……何もかも私がウッカリ致しておりましたために、取返しの附かぬ事になってしまいまして、先代のロスコー様に合わせる顔も御座いません。
ただ一つ不思議なのはあの晩が月夜だった事で御座います。あの時には旦那方から『月が出ている筈はない』とヒドクお叱りを受けましたが、それから後、この留置所へブチ込まれまして、窓の眼隠し越しの三日月様を見て、指を折ってみますと、たしかにあの晩は闇夜だった筈なんで……ところが又、あの晩に私があの松原の中で、松の葉越しにマン円《まる》いギラギラ光るお月様を見ました事も間違い御座いませんので、それが夢でない証拠には、私のような老人が、あの真暗闇の松原の中を何にも引っかからずに通り抜けて、あの危なっかしい岩山の絶頂に登って寝ていたので御座いますからね。飲みさしの燗瓶もそこにちゃんと立っていたのですから月あかりを便りにした事は間違いないと思いますので……こればっかりは不思議で不思議で仕様がないので御座います。
いいえ。どう致しまして。この年になるまで寝呆《ねぼ》けた事なんか只の一度も御座んせん。寝言一つ他に聞かれた事が無《ね》えんで……不思議といったってコンナ不思議な事は御座んせん。それに翌る日のくたびれようと、頭の痛み加減が又いつもと変っておりましたようで、口の中の変テコな臭いと味わいが丸で大病をしたアトのようで、ここへ這入ってからも飯が咽喉《のど》へ通らない位で御座いました。ヘイ。二日酔の気持とは丸で別なんで……ヘイ。勿体ない大恩人のお子さん御夫婦を殺すなんて大それた事を何で致しましょう。ロスコーさんの御夫婦には相当の財産が在ったには違い御座んせぬが、それがどこにどうして在るのやら私とは関係も御座んせぬし、知りも致しませぬ。
私は今年七十一になりますが、そんな事をして娘や養子の一生涯に泥を塗るのが、どんなに馬鹿馬鹿しい、算盤《そろばん》に合わない話かわからないほど耄碌《もうろく》いたしてはおりませぬつもりなんで……ヘイ。どうぞ真平《まっぴら》、御勘弁を……」
物語を終った東作爺が、煙草をモウ一本吸わしてもらって、熱いお茶を一杯御馳走になってから署長室を出て行くと、署長は心持赤面しいしい事件全体についての意見を、犬田博士に問うてみた。それにつれて列席していた判検事、特高課員、司法主任の連中も犬田博士の意見に対して敬意を払い初めたらしく眼を輝やかして固唾《かたず》を呑んだ。
しかし犬田博士はこの時に、まだ多くを云わなかった。
「これは案外平凡な事件かも知れませんな。……とにかく御差支のない限り、御都合のいい日に、今一度現場を見せて頂けますまいか。今|些《すこ》したしかめて見たい事もありますし、何か御参考になる事が見付かるかも知れませんから……」
「そうすると何か犯人に就ての御心当りでも……」
と横合いから司法主任が口を出した。熱心な司法主任は、犬田博士と東作の問答を傍観しているうちに、この事件に対する気分がスッカリ転換して、全然別の新しい観点から頭を働かせ初めたらしい。鋭い生々した瞳を輝かしていた。
しかし犬田博士は結論を急がなかった。思索を整理するかのように眼を閉じて頭を振った。
「いや。まだ判然《はっきり》しませぬ。ただこれは今の東作老人の初対面の印象を、医学上から来た一つの仮想を根拠として申上る事ですから、無条件でお取上になっては困るのですが、今の老人はドウモこの事件に関係はないようです」
「その仮想の根拠と仰言るのは……」
と司法主任が、すこし鋭く突込んだ。けれども犬田博士は依然として落着いていた。キチンと椅子に腰をかけたまま軽い、謎のような微笑を浮かべただけであった。
「東作が晦日《みそか》の夜に見た満月です」
その翌日は二百十日前の曇天で、外海も内海も一続きのトロ凪《な》ぎであった。
犬田博士、蒲生検事、市川判事、山口署長、司法主任、私服特高課員二名のほかに、逸早くこの事件を嗅付けて来た新聞記者一名を乗せた自動艇《モーターボート》が、R市の埠頭を離れて、なだらかな内海の上をグングンとS岬へ接近して行った。因《ちなみ》に前記の特高課員二名はこの事件に新聞記者を立入らせるのを非常に嫌っていたが、その記者を信用している犬田博士と山口老署長が新聞に一行も書かせない事を保証して、辛うじて同乗を承知させたものであった。一つにはその記者の感情を害すると、どこかで手酷《てきび》しい報復をされる事を、一同が恐れているせいでもあったろう。
S岬に到着する迄に犬田博士は、S岬の地理と、ロスコー家の間取を、参謀本部の五万分の一の地図と、司法主任の見取図を参考にしながら、出来るだけ詳細に亘って聴取った。
犬田博士は運転手に頼んで自動艇《モーターボート》をS岬の突端に在る、問題の岩山の根方に着けてもらって、一行をそこから上陸してもらった。それから自身は東作が浪を見ながら酒を飲んだという岩山の上の草原に立って、殆んど暗夜と変らない位に濃い、分厚い黒|硝子《ガラス》を張った飛行眼鏡をかけた。四方を注意深く見廻すと、自分一人で危なっかしい岩角を辿って水際まで降りて行った。それから腰を高くしたり低くしたりして、足場を探り探り岩山の周囲を探検するうちにヤット満足したらしく眼鏡を外して一行を手招きした。それから今一度、黒眼鏡をかけて、ゴロゴロ石ばかりの松原の中をスタスタと、ロスコー家の裏手に在る東作の居室まで来ると、扉の内側を念入りに調べていたが、又も満足したらしく軽いタメ息をして汗を拭いた。
「戸締りをした形跡がない。引っかけの輪金《わがね》がボロボロに銹《さ》びている。東作は毎晩、戸締りをしないで寝ていたものですね」
司法主任がうなずいた。一同が犬田博士を取巻いた。
「この家からあの岩の岬まで真暗闇の中を歩いて来るのは決して困難じゃありませぬ。松の間のゴロ石の上を比較的広い隙間がズウット向うまで行抜けております。この黒眼鏡をかけて御覧なさい。これは僕が眼鏡屋に命じて作らせた新発明品で、夜中に起った事件を昼間調べる場合に応用しますと、かなり微妙な働きをするのです。ハハハ。イヤ。特許を受ける程の物でもありませぬが御覧なさい。肉眼ではちょっと見えませぬが、これを掛けるとわかります。あの岩山からこっちのゴロ石へかけて、心持ち白く光っている道筋が見えましょう。これは人間の通ったアトの僅かの磨滅の重なり合いがそう見えるので、平生誰も行かないこっちの便所の裏の松原には、そんなものが見えないでしょう。この磨滅は岩山の向うの岩だらけの波打際まで続いているので、こうした微妙な天光の反射作用は、昼間は却《かえっ》てわからない。闇黒が深ければ深いほどハッキリして来るものです。つまり東作老人はもとよりの事、ロスコー家の人々は昼間、夜間を問わず、何度となくあの岩山に登って、向うの波打際まで降りて行った事があるので、眼を閉《つ》むっても本能的なカンで通抜けられる位、慣れ切った道になっているのでしょう。東作老人は、それを忘れているものですから、真の闇夜にこの松原を抜けて、あの岩山に登るのは
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