蔭から聞こえた。ピシャリと蚊をたたく音だの、ヒッヒッと忍び笑いをする声だのが続いて起って、又消えた。
 提灯の主は元五郎といって、この道場と浴場の番人と、それから役場の使い番という三ツの役目を村から受け持たせられて、森の奥の廃屋《あばらや》に住んでいる親爺《おやじ》で、年の頃はもう六十四五であったろうか。それが天にも地にもたった一人の身よりである、お八重《やえ》という白痴の娘を連れて、仕舞湯《しまいゆ》に入りに来たのであった。
 親爺は湯殿に這入ると、天井からブラ下がっている針金を探って、今日買って来たばかりの五|分心《ぶしん》の石油ラムプを吊して火を灯《つ》けた。それから提灯を消して傍の壁にかけて、ボロボロ浴衣《ゆかた》を脱ぐと、くの字なりに歪《ゆが》んだ右足に、黒い膏薬《こうやく》をベタベタと貼りつけたのを、さも痛そうにラムプの下に突き出して撫でまわした。
 その横で今年十八になったばかりのお八重も着物を脱いだが、村一等の別嬪《べっぴん》という評判だけに美しいには美しかった。しかし、どうしたわけか、その下腹が、奇妙な恰好にムックリと膨らんでいるために、親爺の曲りくねった足と並んで、
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