子であったが、十三の年に父親が死ぬと間もなく一家が分散したので、母親に連れられて長崎の親類の処へ行くうちに、あわれや乞食にまで零落して終《しま》った。それから七年の間、方々を流浪していると、昨年の春から母親が癆症《ろうしょう》で、腰が抜けたので、とうとうこの川上の部落に落ちつく事になったが、丁度その時が適齢だったので、呼び出されて検査を受けると、美事に甲種で合格した。しかし西村二等卒は入営しても決して贅沢をしなかった。給料を一文も費《つか》わないばかりか、営庭の掃除の時に見付けた尾錠《びじょう》や釦《ボタン》を拾い溜めては、そんなものをなくして困っている同僚に一個一銭|宛《ずつ》で売りつけて貯金をする。そうして日曜日を待ちかねて、母親を慰めに行くことが聯隊中の評判になったので、遂に聯隊長から表彰された。性質は極めて柔順温良で、勤務勉励、品行方正、成績優等……曰《いわ》く何……曰く何……。
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西村さんの評判はそれ以来絶頂に達した。日曜になると村の子守女が、吾《われ》も吾もと出かけて、川上の部落を取り巻いて、西村さんの親孝行振りを見物した。西村さんが病人の汚れものと、自分のシャツを一緒にして、朝霜の大川で洗濯するのを眺めながら「あたし西村さんの処へお嫁に行って上げたい」「ホンニナア」と涙ぐむ者さえあった。
そのうちに新聞社や、聯隊へ宛ててドシドシ同情金が送りつけて来たが、中には女の名前で、大枚「金五十円也」を寄贈するものが出来たりしたので、西村さんは急に金持ちになったらしく、同じ部落の者の世話で、母親の寝ている蒲鉾小舎を、家らしい形の亜鉛板《トタン》張りに建て換えたりした。
「親孝行チウはすべきもんやナア」
と村の人々は歎息し合った。
ところが間もなく大変な事が起った。
ちょうど桜がチラチラし初めて、麦畑を雲雀《ひばり》がチョロチョロして、トテモいい日曜の朝のこと。カーキー色の軍服を、平生《いつも》よりシャンと着た西村さんが、それこそ本当に活動女優ソックリの、ステキなハイカラ美人《さん》と一緒に自動車に乗って、川上の部落へやって来たのであった。
尤《もっと》もこの日に限って西村さんは、何となく気が進まぬらしい態度《ようす》で、自動車から降りると、泣き出しそうな青い顔をして尻込みをしているのを、ハイカラ美人《さん》が無理に手を引っぱって、亜鉛《トタン》張りの家《うち》に這入ったが、母親はまだ睡っていたらしく、二人とも直ぐに外へ出て来た。
それから西村さんは直ぐに帰ろうとして自動車の方へ行きかけたけれども、ハイカラサンが無理やりに引き止めた。そうして自動車の中から赤い毛布を一枚と、美味《うま》そうなものを一パイ詰めた籠を出して、雑木林の中の空地に敷き並べると、部落に残っている片輪《かたわ》連中を五六人呼び集めて、奇妙キテレツな酒宴《さかもり》を初めた。
まず、最初は三々九度の真似事らしく、顔を真赤にして羞恥《はにか》んでいる西村さんと、キャアキャア笑っているハイカラ美人《さん》が、呆気《あっけ》に取られている片輪たちの前で、赤い盃を遣ったり取ったり、押し戴いたりしていたが、間もなく外《ほか》の連中も、白い盃や茶呑茶碗でガブガブとお酒を呑み初めた。その御馳走の中には、ネジパンや、西洋のお酒らしい細長い瓶や、ネープル蜜柑などがあったが、その他は誰一人見たことも聞いたこともない鑵詰《かんづめ》みたようなものばかりを、寄ってたかってお美味《いし》そうにパクついていた。
西村さんもハイカラ美人《さん》にお酌をされて恥かしそうに飲んでいたが、その中《うち》にハイカラ美人《さん》はスッカリ酔っ払ってしまったらしく、毛布の上に立ち上って何かしらペラペラと、演説みたような事を饒舌《しゃべ》り初めた。それから赤い湯もじをお臍の上までマクリ上げると、大きな真白いお尻を振り立てて、妙テケレンな踊りをおどり出した。それを片輪連中が手をたたいて賞めていた……。
……までは、よっぽど面白かったが、間もなく横のトタン葺《ぶ》きの小舎から、幽霊のように痩せ細った西村さんのお母さんが、白い湯もじ一貫のまま、ヒョロヒョロと出て来た姿を見ると、みんな震え上がってしまった。
青白い糸のような身体《からだ》に、髪毛《かみのけ》をバラバラとふり乱して、眼の玉を真白に剥《む》き出して、歯をギリギリと噛んで、まるで般若《はんにゃ》のようにスゴイ顔つきであったが、慌てて抱き止めようとする西村さんを突き飛ばすと、踊りを止めてボンヤリ突立っているハイカラ美人《さん》に、ヨロヨロとよろめきかかった。そのままシッカリと抱き付いて、眼の玉をギョロギョロさせながら、口を耳までアーンと開《あ》いて喰い付こうとした。それを西村さんが一生懸命に引き離して、
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