ブレでぶちまけますが、大体あの兼の野郎と私との間には六百ケンで十両ばかりのイキサツがありますので……尤《もっと》も私が彼奴《あいつ》に十両貸したのか……向うから私が十両借りたのか……そこんところが、あんまり古い話なので忘れてしまいまして……チッポケナ金ですから、どうでも構わんと思っていても、兼の顔さえ見ると、奇妙にその事が気にかかってしようがなくなりますので……けんどそのうちに兼が何とか云って来たらどっちが借りたか、わかるだろうと思って黙っていたんですが……そんで……私は見舞いを云いに来た兼の顔を見ると又、その事を思い出しました。そうして……どうも熱が出たようで苦しくて仕様がない。こんな事は生れて初めてだから、事に依ると俺は死ぬんかもしれない……と云いますと兼の野郎が……そんだら俺が医者を呼んで来てやろうと云って出て行きましたが、待っても待っても帰って来ません。私は兼の野郎が唾を引っかけて行きおったに違いないと思ってムカムカしておりましたが、そのうちに十二時の汽笛が鳴りますと、どこかで喰らって真赤になった兼が、雨にズブ濡《ぬ》れになって帰って来て私の枕元にドンと坐ると、大声でわめきました。何でも……事務所の医者(炭坑医)は二三日前から女郎買いに失せおって、事務所を開けてケツカル……今度出会ったら向う脛をぶち折ってくれる……というので……」
「……フム……不都合だなそれは……」
「……ネエ旦那……あいつらア矢っ張り洋服を着たケダモノなんで……」
「ウムウム。それから兼はどうした」
「それから山の向うの村の医者ン所へ行ったら、此奴《こいつ》も朝から鰻《うなぎ》取りに出かけて……」
「ナニ鰻取り……」
「ヘエ。そうなんで……この頃は毎日毎日鰻取りにかかり切りで、家《うち》には滅多にうせおらんそうで……よくきいてみるとその医者は、本職よりも鰻取りの方が名人なんで……」
「ブッ……馬鹿な……余計な事を喋舌《しゃべ》るな」
「ヘエ……でも兼の野郎がそう吐《ぬ》かしましたので……」
「フーム。ナルホド。それからどうした」
「それから兼は、その村の荒物屋を探し出して、風邪引きの妙薬はないかちうて聞きますと……この頃風邪引きが大バヤリで売り切れてしまったが、馬の熱さましで赤玉《あかだま》ちうのならある。馬の熱が取れる位なら人間の熱にも利くだろうが……とその荒物屋の親仁《おやじ》が云うので買って来た……しかし畜生は薬がよく利くから、分量が少くてよいという事を俺はきいている。だから人間は余計に服《の》まなければ利くまいと思って、その赤玉ちうのを二つ買って来た。これを一時《いちどき》に服んだら大抵利くだろう。金は要らぬから、とにかく服んで見イ……と云ううちに兼は白湯《さゆ》を汲んで来て、薬の袋と一緒に私の枕元へ並べました。私は兼の親切に涙がこぼれました。このアンバイでは俺が兼に十円借りていたに違いないと思い思い薬の袋を破ってみますと、赤玉だというのに青い黴《かび》が一パイに生えておりまして、さし渡しが一寸近くもありましたろうか……それを一ツ宛《ずつ》、白湯で丸呑みにしたんですがトテも骨が折れて、息が詰まりそうで、汗をビッショリかいてしまいました」
「……フーム。それで風邪は治ったか」
「ヘエ……今朝《けさ》になりますと、まだ些《すこ》しフラフラしますが、熱は取れたようですから、景気づけに一パイやっておりますところへ、昨日《きのう》、兼からの言伝《ことづて》をきいたと云って、鰻取りの医者が自転車でやって来ました。五十位の汚いオヤジでしたが、そいつを見ると私は無性に腹が立ちましたので……この泥掘り野郎……貴様みたいな藪医者に用は無い。憚《はばか》りながら俺の腹の中には、赤玉が二つ納まっているんだぞ……と怒鳴りつけてやりましたら、その医者は青くなって逃げ出すかと思いの外《ほか》……ジーッと私の顔を見て動こうとしません」
「フーム。それは又|何故《なぜ》か」
「その爺《じじい》は暫く私の顔を見ておりましたが……それじゃあお前は、その二ツの赤玉を、いつ飲んだんか……と云ううちにブルブル震え出した様子なので、私も気味が悪くなりまして……ナニ赤玉には違いないが、青い黴の生えた奴を、昨夜《ゆんべ》十二時過に白湯で呑んだんだ。そのおかげで今朝はこの通り熱がとれたんだが、それがどうしたんか……とききますと医者の爺《じじい》はホッとしたようすで……それは運が強かった。青い黴が生えていたんで、薬の利き目が弱っていたに違いない。あの赤玉の一粒に使ってある熱さましは、人間に使う分量の何層倍にも当るのだから、もし本当に利いたら心臓がシビレて死んで終《しま》う筈だ……どっちにしても今酒を呑むのはケンノンだから止めろと云って、私の手を押えました」
「フーム。そんなもんかな」
「この話
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