こえなくなった。
 その翌《あく》る朝の事。元五郎親爺は素裸体に、鉈をしっかりと掴んだままの死体になって、鎮守さまのうしろの井戸から引き上げられた。又娘のお八重は、そんな騒ぎをちっとも知らずに廃屋《あばらや》の台所の板張りの上でグーグー睡っていたが、親爺の死体が担ぎ込まれても起き上る力も無いようす……そのうちにそこいらが変に臭いので、よく調べてみると、お八重は叱るものが居なくなったせいか、昨夜《ゆうべ》の残りの冷飯《ひやめし》の全部と、糠味噌《ぬかみそ》の中の大根や菜《な》っ葉《ぱ》を、糠《ぬか》だらけのまま残らず平らげたために、烈しい下痢を起して、腰を抜かしていることがわかった。
 そのうちに警察から人が来て色々と取調べの結果、昨夜《ゆうべ》からの事が判明したので、元五郎親爺の死因は過失から来た急劇|脳震盪《のうしんとう》ということに決定したが、一方にお八重の胎児の父はどうしてもわからなかった。
 初めはみんな、撃剣を使いに行く青年たちのイタズラであろうと疑っていたが、八釜《やかま》し屋《や》の区長さんが主任みたようになって、一々青年を呼びつけて手厳しく調べてみると、この村の青年ばかりでなく、近所の村々からもお八重をヒヤカシに来ていた者があるらしい。それでお八重には郵便局という綽名《あだな》がついていることまで判明したので、区長さんは開いた口が塞《ふさ》がらなくなった。
 すると、その区長さんの長男で医科大学に行っている駒吉というのが、ちょうどその時に帰省していて、この話をきくと恐ろしく同情してしまった。実地経験にもなるというので、すぐに学生服を着て、お八重の居る廃屋へやって来て、新しい聴診器をふりまわしながら親切に世話をし初めた。母親に頼んで三度三度お粥《かゆ》を運ばせたり、自身に下痢止めの薬を買って来て飲ませたりしたので「サテは駒吉さんの種であったか」という噂がパッと立った。しかし駒吉はそんな事を耳にもかけずに、休暇中毎日のようにやって来て診察していると、今度はその駒吉が、お八重の裸体の写真を何枚も撮って、机の曳出《ひきだ》しに入れていることが、誰云うとなく評判になったので、流石《さすが》の駒吉も閉口したらしく、休暇もそこそこに大学に逃げ返った。そうすると又、あとからこの事をきいた区長さんがカンカンに怒り出して、母親がお八重の処へ出入りするのを厳重にさし止めてしまった。
「お八重が子供を生みかけて死んでいる」という通知が、村長と、区長と、駐在巡査の家《うち》へ同時に来たのは、それから二三日経っての事であった。それは鎮守の森一パイに蝉の声の大波が打ち初めた朝の間《ま》の事であったが、その森蔭の廃屋へ馳けつけた人は皆、お八重の姿が別人のように変っていたのに驚いた。誰も喰い物を与えなかったせいか、美しかった肉付きがスッカリ落ちこけて、骸骨のようになって仰臥《ぎょうが》していたが、死んだ赤子の片足を半分ばかり生み出したまま、苦悶しいしい絶息したらしく、両手の爪をボロ畳に掘り立てて、全身を反《そ》り橋のように硬直させていた。その中《うち》でも取りわけて恐ろしかったのは、蓬々《ぼうぼう》と乱れかかった髪毛《かみのけ》の中から、真白くクワッと見開いていた両眼であったという。
「お八重の婿どん誰かいナア
 阿呆鴉《あほうがらす》か梟《ふくろ》かア
 お宮の森のくら闇で
 ホ――イホ――イと啼《な》いている。
 ホイ、ホイ、ホ――イヨ――」
 という子守唄が今でもそこいらの村々で唄われている。

     赤玉

「ナニ……兼吉《かねきち》が貴様を毒殺しようとした?……」
 と巡査部長が眼を光らすと、その前に突立った坑夫体《こうふてい》の男が、両手を縛られたまま、うなだれていた顔をキッと擡《もた》げた。
「ヘエ……そんで……兼吉をやっつけましたので……」
 と吐き出すように云って、眼の前の机の上に、新聞紙を敷いて横たえてある鶴嘴《つるはし》を睨みつけた。その尖端の一方に、まだ生々しい血の塊《かた》まりが粘りついている。
 巡査部長は意外という面《おも》もちで、威儀を正すかのように坐り直した。
「フーム。それはどうして……何で毒殺しようとしたんか……」
「ヘエそれはこうなので……」
 と坑夫体の男は唾を呑み込みながら、入口のタタキの上に、筵《むしろ》を着せて横たえてある被害者の死骸をかえりみた。
「私が一昨日《おとつい》から風邪を引きまして、納屋《なや》に寝残っておりますと、昨日《きのう》の晩方の事です。あの兼《かね》の野郎が仕事を早仕舞《はやじま》いにして帰って来て『工合はどうだ』と訊《き》きました」
「……ふうん……そんなら兼と貴様は、モトから仲が悪かったという訳じゃないな」
「……ヘエ……そうなんで……ところで旦那……これはもう破れカ
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