っぽの飯櫃《めしびつ》がころがって、無残に喰い荒された漬物の鉢と、土瓶《どびん》と、箸《はし》とが、飯粒《めしつぶ》にまみれたまま散らばっている。そんなものをチラリと見た若い主人の眼は、すぐに仏壇の下に移ったが、泥足のままかけ上って、半分開いたまんまの小抽出しを両手でかきまわした。
「ヤラレタ……」
と云ううちに見る見る青くなってドッカリと尻餅を突いた。頭を抱えて縮み込んだ。表の見物人はまん丸にした眼を見交《みかわ》した。
「……マア……可哀相に……留守番役のおふくろが死んだもんじゃけん」
「キット流れ渡りの坑夫のワルサじゃろ……」
その囁《ささや》きを押しわけてこの家《や》の若い妻君が帰って来た。やはり野良行きの姿であったが、信玄袋を探し当てて出て行く乞食爺の姿を見かえりもせずに、泥足のままツカツカと畳の上にあがると、若い主人の前にベッタリと坐り込んだ。頭の手拭を取って鬢《びん》のほつれを掻き上げた。無理に押しつけたような声で云った。
「お前さんは……お前さんは……この小抽出しに何を入れておんなさったのかえ……妾《わたし》に隠して……一口も云わないで……」
若い主人はアグラを掻いて、頭を抱えたまま、返事をしなかった。やがて濡れた筒ッポウの袖口で涙を拭いた。
下唇を噛んだまま、ジッとこの様子をながめていた妻君の血相がみるみる変って来た。不意に主人の胸倉《むなぐら》を取ると、猛烈に小突きまわし初めた。
「……えエッ。口惜しいッ。おおかた大浜(白首街《しらくびまち》)のアンチキショウの処へ持って行く金じゃったろ。畜生畜生……二人で夜《よ》の眼を寝ずに働いた養蚕《ようさん》の売り上げをば……いつまでも渡らぬと思うておったれば……エエッ……クヤシイ、クヤシイ」
しかしいくら小突かれても若い主人はアヤツリのようにうなだれて、首をグラグラさせるばかりであった。
二三人見かねて止めに這入って来たが、一番うしろの男は表の人だかりをふり返って、ペロリと赤い舌を出した。
「これがホンマのアヤツリ芝居じゃ」
みんなゲラゲラ笑い出した。
妻君が主人の胸倉を取ったままワーッと泣き出した。
一ぷく三杯
お安さんという独身者《ひとりもの》で、村一番の吝《けち》ン坊《ぼう》の六十婆さんが、鎮守様のお祭りの晩に不思議な死にようをした。
……たった一人で寝起きをしている村外れの茶屋の竈《かまど》の前で、痩せ枯《かれ》た小さな身体《からだ》が虚空《こくう》を掴んで悶絶していた。平生《ふだん》腰帯にしていた絹のボロボロの打ち紐《ひも》が、皺《しわ》だらけの首に三廻《みまわ》りほど捲かれて、ノドボトケの処で唐結《からむす》びになったままシッカリと肉に喰い込んでいたが、その結び目の近まわりが血だらけになるほど掻き※[#「てへん+劣」、第3水準1−84−77]《むし》られている。しかし何も盗まれたもようは無く、外から人の這入った形跡も無い。法印さんの処から貰って帰ったお重詰めは、箸をつけないまま煎餅布団《せんべいぶとん》の枕元に置いてあった。貯金の通《かよ》い帳《ちょう》は方々探しまわったあげく、竈の灰の下の落し穴から発見された。その遺産を受け継ぐべき婆さんのたった一人の娘と、その婿になっている電工夫は、目下東京に居るが、急報によって帰郷の途中である。婆さんの屍体は大学で解剖することになった……近来の怪事件……というので新聞に大きく出た。
お安婆さんの茶店は、鉄道の交叉点のガードの横から、海を見晴らしたところにあった。古ぼけた葭簀《よしず》張りの下に、すこしばかりの駄菓子とラムネ。渋茶を煮出した真黒な土瓶。剥げた八寸膳の上に薄汚ない茶碗が七ツ八ツ……それでも夏は海から吹き通しだし、冬の日向きがよかったので、街道通いの行商人なぞがスッカリ狃染《なじみ》になっていた。
主人公の婆さんは三十いくつかの年に罹《かか》った熱病以来、腰が抜けて立《た》ち居《い》が不自由になると、生れて間もない娘を置き去りにして亭主が逃げてしまったので、田畠を売り払ってここで茶店を開いた。その娘がまたなかなかの別嬪《べっぴん》の利発もので、十九の春に、村一番の働き者の電工夫を婿養子に取ったが、今は夫婦とも東京の会社につとめて月給を貰っているとか。
「その娘夫婦が東京に孫を見に来い見に来いと云いますけれども、まあなるたけ若い者の足手まといになるまいと思うて、この通りどうやらこうやらしております。自分の身のまわりの事ぐらいは足腰が立ちますので……娘夫婦もこの頃はワタシに負けて、その中《うち》に孫を見せに帰って来ると云うておりますが……」
と云いながら婆さんは、青白い頬をヒクツカせて、さも得意そうにニヤリとするのであった。
「……フフン。それでも独りで淋しかろ……」
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