と見えて、この家《や》の若い主人が帰って来た。手足を泥だらけにした野良着《のらぎ》のままであったが、肩を聳《そび》やかして土間に這入《はい》るとイキナリ、人形をさし上げている爺さんの襟首《えりくび》に手をかけてグイと引いた。振袖人形がハッと仰天した。そうして次の瞬間にはガックリと死んでしまった。
 見物は固唾《かたず》をのんだ。どうなることか……と眼を瞠《みは》りながら……。
「……ヤイ。キ……貴様は誰にことわって俺の家《うち》へ這入った……こんな人寄せをした……」
 爺さんは白い眼を一パイに見開いた。口をアングリとあけて呆然となったが、やがて震える手で傍《かたわら》の大きな信玄袋の口を拡げて、生命《いのち》よりも大切《だいじ》そうに人形を抱え上げて落し込んだ。それから両手をさしのべて、破れた麦稈《むぎわら》帽子と竹の杖を探りまわし初めた。
 これを見ていた若い主人は、表に立っている人々をふり返ってニヤリと笑った。人形を入れた信玄袋をソッと取り上げて、うしろ手に隠しながらわざと声を大きくして怒鳴った。
「サア云え。何でこんな事をした。云わないと人形を返さないぞ」
 何かボソボソ云いかけていた見物人が又ヒッソリとなった。
 麦稈帽を阿弥陀《あみだ》に冠《かぶ》った爺さんは、竹の杖を持ったままガタガタとふるえ出した。ペッタリと土間に坐りながら片手をあげて拝む真似をした。
「……ど……どうぞお助け……御勘弁を……」
「助けてやる。勘弁してやるから申し上げろ。何がためにこの家に這入ったか。何の必要があれば……最前からアヤツリを使ってコンナに大勢の人を寄せたのか。ここを公会堂とばし思ってしたことか」
 爺さんは見えぬ眼で次の間《ま》をふり返って指《さ》した。
「……サ……最前……私が……このお家に這入りまして……人形を使い初めますと……ア……あそこに居られたどこかの旦那様が……イ……一円……ク下さいまして……ヘイ……おれが飯を喰っている間《ま》に……貴様が知っているだけ踊らせてみよ……トト、……おっしゃいましたので……ヘイ……オタスケを……」
「ナニ……飯を喰ったア……一円くれたア……」
 若い主人はメンクラッたらしく眼を白黒さしていたが、忽ち青くなって信玄袋を投げ出すと、次の間《ま》の上《あが》り框《かまち》に駈け寄った。そこにひろげられた枕屏風《まくらびょうぶ》の蔭に、空
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