のぞいている。私はそれを引き出してどこに棄てようかと考えながら頭を上げた。そのはずみに向うからうつむいて来た婦人にブツカリそうになったので私はハッと立ち止《とど》まった。
 向うも立ち止まって顔を上げた。
 それは二十四、五位に見える色の白い品のいい婦人であった。髪は大きくハイカラに結っていた。黒紋付きに白襟《しろえり》をかけていたが芝居に出て来る女のように恰好がよかった。手に何か持っていたようであるがその時はわからなかった。
 私はその時何の意味もなくお辞儀をしたように思う。その婦人もしとやかにお辞儀をしてすれ違った。その時に淡い芳香が私の顔を撫でて胸の奥までほのめき入った。
 私は今一度ふり返って見たくてたまらないのを我慢して真直ぐに歩いたために汗が額にニジミ出た。そうして、やっと笄橋《こうがいばし》の袂《たもと》まで来ると、不意に左手の坂から俥《くるま》が駆け降りて来て私とすれ違った。私はその拍子にチラリとふり向いた。
 黒い姿が紫色の風呂敷包みを抱えて鶴原家の前の木橋の上に立っていた。白い顔がこっちを向いていた。
 私は逃げるように横町に外《そ》れた。

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