。
夕方になって眼が醒めたがその時初めて御飯を食べると、何の意味もなしに又西行きの汽車に乗った。その時に待合所の女中か何かが見覚えのない小さな鞄を持って来たのを、
「おれのじゃない」
と押し問答したあげく、やっと昨夜《ゆうべ》鶴原家を出がけに兄が自動車の中に入れてくれたものであることを思い出して受け取った。同時にその中に紙幣が一パイ詰まっていることも思い出したが、その時はそれをどうしようという気も起らなかったようである。
汽車が動き出してから気が付くと私の傍《かたえ》に東京の夕刊が二枚落ちている。それを拾って見ているうちに「鶴原子爵未亡人」という大きな活字が眼についた。
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▲きょうの午前十時に美人と淫蕩で有名な鶴原子爵未亡人ツル子(三一)が一人の青年と共に麻布《あざぶ》笄町《こうがいちょう》の自宅で焼け死んだ。その表面は心中と見えるが実は他殺である。その証拠に焼け爛れた短刀の中味は二人の枕元から発見されたにも拘わらず、その鞘《さや》の口金《くちがね》はそこから数間を隔てた廊下の隅から探し出された。
▲未亡人は二、三日前東洋銀行から預金全部を引き出したばかりでなく、家や地面も数日前から金《かね》に換えていたがその金は焼失していないらしい。
▲未亡人と一緒に焼け死んでいた青年は、同居していた夫人の甥で妻木敏郎(二七)という青年であることが判明した。同家には女中も何も居なかったらしく様子が全くわからないが痴情の果という噂もある。
▲当局では目下全力を挙げてこの怪事件を調査中……。
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そんな事を未亡人の生前の不行跡と一緒に長々と書き並べてある。それを見ているうちにあくび[#「あくび」に傍点]がいくつも出て来たので、私は窓に倚《よ》りかかったままウトウトと居眠りをはじめた。
あくる朝京都で降りると私はどこを当てともなくあるきまわった。すこし閑静なところへ来ると通りがかりの人を捕まえて、
「ここいらに鶴原卿の屋敷跡はありませんでしょうか」
ときいた。その人は妙な顔をして返事もせずに行ってしまった。それから今大路家や音丸家のあとも一々尋ねて見たがみんな無駄骨折りにおわった。そこに行ってどうするというつもりもなかったけれども只何となく自烈度《じれった》かった。
夕方になって祇園の通りへ出たが、そこの町々の美しいあかりを見ると私はたまらなくなつかしくなった。何だか赤ん坊になって生れ故郷へ帰ったような気持ちになってボンヤリ立っていると向うから綺麗な舞い妓《こ》が二人連れ立って来た。その右側の妓《こ》の眼鼻立ちが鶴原の未亡人にソックリのように見えたので、私は思わず微笑しながら近付いて名前をきいたら右側のは「美千代」、左側のは「玉代」といった。「うちは?」ときいたら美千代が向うの角を指した。その手に名刺を渡しながら、
「どこかで僕とお話ししてくれませんか」
というと二人で名刺をのぞいていたが眼を丸くしてうなずき合って私の顔を見ながらニッコリするとすこし先の「鶴羽《つるば》」という家《うち》に案内した。そうして二人共一度出て行くと間もなく美千代一人が着物を着かえて這入って来たので私は奇蹟を見るような気持ちになった。
その時|仲居《なかい》は「高林先生」とか「若先生」とか云って無暗にチヤホヤした。私は気になって「本当の名前は久弥」と云ったら「それでは御苗字は」ときいたから、
「音丸」と答えたら美千代が腹を抱えて笑った。私も東京を出て初めて大きな声で笑った。
それから後《のち》私は鶴原未亡人に似た女ばかり探した。芸妓《げいしゃ》。舞妓。カフェーの女給。女優なぞ……しまいには只鼻の恰好とか、眼付きとか、うしろ姿だけでも似ておればいいようになった。それから大阪に行った。
大阪から別府、博多、長崎、そのほか名ある津々浦々を飲んでは酔い、酔うては女を探してまわった。昨夜《ゆうべ》鶴原未亡人に丸うつしと思ったのが、あくる朝は似ても似つかぬ顔になっていたこともあった。その時私は潜々《さめざめ》と泣き出して女に笑われた。
酔わない時は小説や講談を読んで寝ころんでいた。そうしてもしや自分に似た恋をしたものがいはしまいか。いたらどうするだろうと思って探したが、生憎《あいにく》一人もそんなのは見付からなかった。
そのうちに二年経つと東京の大地震の騒ぎを伊予の道後できいたが、九段が無事ときいたので東京へ帰るのをやめて又あるきまわった。けれども今度は長く続かなかった。私の懐中《ふところ》が次第に乏しくなると共に私の身体《からだ》も弱って来た。ずっと以前から犯されていた肺尖がいよいよ本物になったからである。
久し振りに、なつかしい箱根を越えて小田原に来たのはその翌年の春の初めであった。そこで暖くなるのを待っ
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