癒せしむべき成分と見做し、それが榮養上如何なる意義を有するかに就ては、實驗もせず、またこれに論及もしなかつた。たゞ氏がこれを結晶状に抽出したことを發表した爲め、世人の注意を惹いたのである。が、それは誤りで、その結晶なるものは有效成分ではなく、私が既に發見せるニコチン酸であつたのである。私は日本に於て數年前より發表せる成績十數報に亘る論文を一括して、一九一二年(明治四十五年八月)、獨逸生化學雜誌に掲載したのであるけれど、初めは日本文のみで發表した爲めに、素より外國人の目には觸れず、恰かもフンク氏より後れたかの觀を呈したのである。
 私は前に述べたやうに、配合飼料を造つたり、また白米を用ひて「オリザニン」の效力を確かめたので、更に多くの動物に試驗しようと企て、豚、羊、犬、猫、鳩、鷄、鼠等より、下等菌類や酵母バクテリヤの類にまで試驗したのであるが、特殊の糸状菌及びバクテリヤを除く外、高等動物には總て必要缺くべからざるものであることを證明した。これには多數の共同研究者の助力を得たのである。
 また人間に必要の程度を試驗するため、大正三年に鈴木文助氏(舊姓荒木)と東京市の養育院に於て滿一ヶ年間二十人の小兒に就て、「オリザニン」を與へたるものと、與へないものとの發育状態を調査し、良好の結果を得た。(これには養育院の伊丹醫學博士等の援助を得た。)

脚氣問題で冷笑さる
 斯くて人間にも「オリザニン」の必要なことが確められ、而して白米中には全然これを含まないから、人間の脚氣も必ず「オリザニン」缺乏が原因であらうと信ずるやうになつたのである。が、私が醫者でないために、人間に試驗をするのに非常な不便を感じた。
 最初泉橋病院の若い醫學士に「オリザニン」を送つて試驗を依頼した處 一ヶ月ばかり經つてから「一人の勞働者に試驗した處、その患者は三日ばかりで輕快したと云つて、その後は來なかつた。もう一人は餘程重症であつたが、數日間の服用で非常に輕快に赴いたと云ひ、未だ症状が充分消失しない内に退院してしまつた。多分「オリザニン」が效いたのだと思ふが、併し脚氣は他の療法でも癒るから、これが特效藥だとは云はれない、もつと繼續して試驗することは、主任の先生が許さないから、これでお斷りする」といふのであつた。
 その次に、私の同郷の開業醫が日本橋に居つたから、その人に頼んだが、斷りの手紙を寄越した。そんな譯で、甚だ信用がなくて閉口した。
 東京化學會で私が(「オリザニン」は脚氣に效くだらう」)と述べたことを、當時醫界の大立者だつた某博士が傳へ聞かれて「鈴木が脚氣に糠が效くと云つたさうだが、馬鹿げた話だ、鰯の頭も信心からだ、糠で脚氣が癒るなら、小便を飮んでも癒る……」と、或る新聞記者に話されたことがあつた。
 其後私が同博士に逢つた時「君が脚氣の原因を見付けたといふことを人から聞いたが、それは嘘だらうと云つてやつた」と私に云はれた。私が醫者でも藥學者でもないから、脚氣などが判るもんかと思はれたのであらう。
 程經て、私が青山の農業大學へ教へに行つた時のこと、途で一人の學生が他の學生の肩につかまつて來るのを見た。どうしたんだと聞いたら、脚氣で動けないのだが、今日は試驗があるから助けて學校へ連れて來たといふ。それで私が藥をやるからといつて、直ちに三共會社から「オリザニン」を二瓶取り寄せて、くれてやつた。すると二、三日後にその學生が私の宅までやつて來て、先生に藥を貰つて飮んだところが、不思議に早く癒つた、自分は青山の四丁目に下宿して居るが、今日は御禮に來たと云つて、普通の人の樣に、歩き方も確かであつた。その時分は電車もなかつたので、無論往復一里餘も徒歩だつたのである。その學生は一瓶で癒つたから、殘りの一瓶は大切に保存して置くと云つて居た。
 もう一つ、私の郷里の青年が脚氣になつたので、國に歸る爲に出發した處、汽車の中で衝心して、已むなく途中で下車し、小田原の病院に入つたが、危篤だから直ぐ來いといふ電報を、私の隣家の知人の許に寄越した。その時私は「オリザニン」を二瓶持たせて、院長と相談の上、服用させてくれと頼んだ。ところが、二、三日ですつかり輕快し、一週間ばかりで國へ歸つた。患者の方では、意外の效果に驚いたといつて、感謝の手紙を寄越したが、院長は私の與へた藥が效いたとは云はなかつたやうだ。
 また或時、私の實驗室の研究生が理髮店に行つたところ、奧で何だか大騷ぎをして居るので理由を訊くと、主人が脚氣衝心を起して悶へ苦んで居るのだといふ。その時、研究生は恰度ポツケツトに「オリザニン」を入れて居つたので、「これは脚氣に良い藥だ、眼の前で服用して見ろ」といつて、一瓶を半分ばかり服用させた。すると三十分ばかりの内に、今まで非常に苦悶して居つた病人がケロリと平靜になつたので、翌日までに全
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