の輸入が杜絶して大騷ぎをした。それで私等も化學者として默視するに忍びず、暫く「オリザニン」の研究を中止して、實驗室の總動員を行ひ、先づ酒の防腐劑サルチール酸を造り、次で酒の※[#「酉+元」、第3水準1−92−86]に入れる乳酸やサル※[#濁点付き片仮名ワ、1−7−82]ルサン(六〇六號)の製造に成功し、またアンチピリンや人造藍などまで試みた。そんな事で四、五年は經過した。その間にまた私は二度も大患に罹つた。
それで大正九年頃から再び「オリザニン」の研究を始めることゝなり、大嶽君が主としてこれを擔當し、糠と酵母中のあらゆる成分を片づける意氣込で多數の結晶成分を抽出し、その中には新奇なものも澤山あつたが、肝腎なBは、なか/\結晶とならなかつた。併し昭和四年になつて初めて二センチ瓦ばかりの結晶を得たので、大に勇氣を得、更に一年餘を費やし、翌五年の夏頃漸く〇・三瓦ばかり、立派な結晶を得、動物試驗を行つて有效であることを確めた。
この結晶は〇・〇二ミリ瓦位で鳩の白米病を治す力があるから、人間には一ミリ位で充分效くものと思はれる。この結果を、昭和五年十一月、日本學術協會で大嶽君が發表したので、引續き元素分析やその他の化學的性質を試驗した。
「オリザニン」の結晶を一瓦も作るには、少くとも數百貫目の糠より出發せねばならないが幸に三共會社から注射用の強力「オリザニン」を多量に供給されたから出來たのである。一方また大嶽君の實驗の巧妙なのと、根氣のよいのには驚くべきものがあつた。
今後Bの結晶の化學的構造を決定し、これを合成するのは何年かゝるか知らないが、兎に角結晶となつたのは、化學者の一大收獲である。
脚氣問題を別として、オリザニンが果して榮養上の一新成分であるか、どうかと云ふことも隨分議論があつた、それは動物の榮養を支配する條件が澤山あつて、蛋白の種類とか、分量とか、或は無機成分中、微量のもので見逃して居るものはないかとか、リポイドが必要であるとか、ないとか、いろ/\判らないことが多かつたからである。
米國でオスボルンやメンデル博士などは一九一四年までヴィタミン不必要を唱へ、ベルリン時代の私の學友アプデルハルデン氏も數年間反證を擧ぐる爲に實驗をやつた。ローマン博士は一九一七年まで頑強にヴィタミン説に反對したものである。兎に角、一つの學説が一般に承認せらるゝのは、なか/\容
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