部服用させたら、全快して、大に感謝されたといふことであつた。
そんな報告は、澤山集めて居つたが、自分が醫者でないから、發表する事が出來なかつた。
脚氣の原因確定さる
明治四十一年に、陸軍に脚氣調査會が設立せられ、同四十五年頃より、糠が本當に效くかどうかを試驗することゝなつたが、それでも某醫學博士などは、糠の水浸液を煮沸して脚氣患者に試驗したが、何等效力はなかつたと云はれた。
そんな風に、なか/\議論が片づかなかつた。これは結局、ヴィタミンBの強力なものを製し得なかつたのと、與へる分量が少かつた爲であることが、後になつて判明した。強力の製品を多量に與ふれば、奇效を奏するのである。
大正七、八年頃、ヴィタミン研究が歐米に於て盛んになり、その反響が再び日本に傳はるに及んで、日本の醫學者も、この問題を眞面目に考へるやうになつた。なかんづく島薗順次郎博士は、その頃京大に居られて、私の製法によつて自ら強力「オリザニン」を製し、多數の脚氣患者に試驗し、また衝心性の重症患者にも試みて好成績を得、愈々脚氣の主原因はヴィタミンBの缺乏であると斷定された。
これと前後して慶應大學の大森憲太博士も、數人の助手や看護婦などにヴィタミンBの少い食物を與へて人工的に脚氣を起さしめ、これにB製劑を與ふれば癒ることを實驗し、醫界の注意を惹いた。もつとも、それより前(一九一三年)ベルリン高等農學校でツンツ教授の助手モスコースキー氏が、自身にBの少い食物を攝り、二百餘日の後、脚氣樣の重患に陷つた際、糠の浸液を飮んで恢復したとて、その臨床報告を發表して居る。
併し氏の食物は、絶對のB缺乏食ではなかつた。またその症状が日本の脚氣とは異なる點があるといふので、日本の醫學者は餘り信用しなかつた。
兎に角、脚氣問題は幾多の波瀾を經て、遂にヴィタミンB缺乏説に歸着したやうである。それがために、B製劑が續出して、現時は數十種類にも達する有樣である。
化學者の大收獲
私が四十四年に製出した強力「オリザニン」は未だ化學的純粹とは云はれなかつた。鳩の白米病を治癒するのに五―十ミリ瓦を要したのである。それを結晶状に抽出しようと企て、大嶽、島村、鈴木(文助)その他多數の諸氏の助力を得て盛んに研究したのであるが、なか/\その目的を達せなかつた。
その内、大正三年となつて、歐洲大戰が勃發し、我國では染料や藥品
前へ
次へ
全10ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
鈴木 梅太郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング