そ死人があったんだ」
「馬鹿ア言え夜だからこんなことがあったんだ、霜柱のせいじゃあないか」
「生意気なことを言やあがる、手前見たような奴だ、こんなところで押し潰《つぶ》される玉は! あんまり強吐張《ごうつくば》りを言やあがると後生《ごしょう》がないぞ」
 日がさして瓦屋根の霜の溶ける時分には近処の小売屋の女房《かみさん》も出て来れば、例の子守女も集まって喧しい騒ぎになって来た。監督の命令で崩れた土はすぐ停車場《ステーション》前の広場に積み上げる、夜を日についでも隧道《トンネル》工事を進めよというので、土方は朝からいつにない働き振りである。
 霜日和《しもびより》の晴れ渡ったその日は、午後から鳶色《とびいろ》の靄《もや》が淡《うす》くこめて、風の和《な》いだ静かな天気であった。午後四時に私は岡田と交代して改札口を出ると今朝大騒ぎのあった隧道のところにまた人が群立って何か事故《こと》ありげに騒いでいる。どうしたのだろう、また土が崩れたのではあるまいか、そうだそれに違いないと独りで決めて見物人の肩越しにのぞいて見ると、土は今朝見たまま、大かた掘り出してちょうど井戸のようになっているばかりで別に新しく崩れたという様子もない。
「どうしたんだい、誰か負傷《けが》でもしたの」と一人が聞くと、「人が出たんですとさ、人が!」と牛乳配達らしいのが眼を丸くして言う。私は事の意外に驚いたが、もしやと言う疑念が電光《いなずま》のように閃いたので、無理に人を分けて前へ出て見た。
 疑念というのは、土の崩れた中から出た死骸《しがい》が、フト私の親しんだ乞食の少年ではないだろうか、少年は土方の夜業をして捨てて行った燼《もえさし》にあたるために隧道の上の菰掛《こもが》けの仮小屋に来ていたのを私はたびたび見たことがあったからである。見ると死骸はもう蓆に包んで顔は見えないけれども、まだうら若い少年の足がその菰の端から現われているので、私はそれがあの少年にまぎれもないことを知った。
 ああ、可憐《かあい》そうなことをした!
 どこからともなく襲うて来た一種の恐怖が全身に痺《しび》れ渡って、私はもう再びその菰包みを見ることすら出来なかった。昨日まであんなにしていたものを、人間の運命というものは実に分らないものだ。何という薄命な奴だろう、思うに昨夜の寒さを凌《しの》ぎかねて、焚火の燼の傍に菰を被ったままうずくまっていたところを、急に崩れ落ちて、こんなあさましい最後を遂げたに相違あるまい。
 少年の事情はせめて小林監督にでも話してやろう、私は顔をあげて死骸の傍に突っ立っている逞《たくま》しい労働者の群を見た。薄い冬の夕日が、弱い光をそのあから顔に投げて、猛悪な形相《ぎょうそう》に一種いいしれぬ恐怖と不安の色が浮んでいる。たとえば猛獣が雷鳴を怖れてその鬣《たてがみ》の地に敷くばかり頭を垂れた時のように、「巡査《おまわり》が来た!」
「大将も一しょじゃあないか」「大将が来たぞ!」と土方は口々に囁く、やがて小林監督は駐在所の巡査を伴立《つれだ》ってやって来た。土方は言い合わせたように道をあける。

     二十二

「いい成仏《じょうぶつ》をしろよ!」と小林の差図で工夫の一人がショーブルで土を小さい棺桶の上に落した。私はせめてもの心やりに小石を拾って穴に入れる。黙っていた一人がこんどは横合いから盛り上げてある土をザラザラと落したので棺はもう大かた埋もれた。
 小坊主が、人の喉を詰まらせるような冷たい空気に咽《むせ》びながら、鈴を鳴らして読経をはじめた。
 小林は洋服のまま角燈を提げて立っている。
 私が変死した少年のことについて小林に話すと、彼は非常に同情して、隧道《トンネル》の崩れたのは自分の監督が行き届かなかったからで、ほかに親類《みより》がないと言うならば、このまま村役場の手に渡すのも可憐そうだからおれが引き取って埋葬してやるというので、一切を引き受けて三田村の寂しい法華寺《ほっけでら》の墓地の隅に葬ることとなった。もっともこの寺というのは例の足立駅長の世話があったのと、納豆売りをしていた少年の母のことを寺の和尚《おしょう》が薄々知っていたのとで、案外早く話がついて、その夜のうちに埋葬してしまうことになったのだ。
 今夜はいつになく風が止んで、墓地と畑の境にそそり立った榛《はん》の梢が煙のように、冴《さ》え渡る月を抽《ぬ》いて物すごい光が寒竹の藪《やぶ》をあやしく隈どっている。幾つとなく群立った古い石塔の暗く、また明《あか》く、人の立ったようなのを見越して、なだらかな岡が見える。その岡の上に麦酒《ビール》会社の建築物が現われて、黒い輪廓《りんかく》があざやかに、灰色の空を区画《くぎ》ったところなど、何とはなしに外国《とつくに》の景色を見るようである。
 咽《むせ》ぶよ
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