うな、絶え入るような小坊主の読経は、細くとぎれとぎれに続いた。小林監督は項垂《うなだ》れて考え込んでいる。

     *    *    *

「工事が済み次第行くつもりだ、しばらくあっちへ行って働いて見るのも面白かろう、同志《なかま》はすぐにも来てくれるようにと言うのだけれど今ここを外すことは出来ない、それに正軌倶楽部の方の整理《しまつ》もつけて行かなけりゃあ困るのだから、早くとも来年の三月末ころにはなるだろうな」
「そうなれば私も非常に嬉しいのです。停車場の方もこのごろはつくづく嫌になりましたし、なるたけ早く願いたい方です」と私は心から嬉しく答えた。
「駅長も来年の七月までということだし、それにあっちへ行けば、同志の者は僕を非常に待っていてくれるのだから、君も今より少しはいい位置が得られるだろうと思う、かたがた君のためにはマア幸福かも知れない」
「足立さんも満足して下さるでしょう」
「あの男も実に好人物だ、郷里《くに》の小学校にいた時分からの友達で、鉄道に勤めるようになってからもう二十年にもなるだろう、もう少し覇気《はき》があったなら相当な地位も得られたろうに、今辞職しちゃ細君もさぞ困るだろう」
 二人は話しながら、月の光を浴びて櫟林《くぬぎばやし》の下を長峰の方にたどった。冬の夜は長くまだ十時を過ぎないけれども往来には人影が杜絶《とだ》えて、軒燈の火も氷るばかりの寒さである。
 長崎の水谷造船所と九州鉄道の労働者間にこんどよほど強固な独立の労働組合が組織されて、突然その組織が発表されたことは二三日前の新聞紙に喧しく報道された。私はその組合の幹部が皆小林監督の同志であって、春を待って私たちがその組合の事業を助けるために門司《もじ》に行かねばならぬということは夢にも思わなかったが今夜小林監督にその話を聞いて、私は非常に勇み立った。
 実を言うと私が門司に行くのを喜んだのは一つには目黒を去るということがあるからである。私はこのごろ、馴染《なじ》みの乗客に顔を見られたり、また近処の人に遇《あ》ったりすると、何だか「あやつもいつまで駅夫をしているのか」と思われるような気がして限りなき羞恥を覚えるようになって来た。その羞かしい顔をいつまでも停車場にさらして人知れぬ苦悩を胸に包むよりも、人の生血の波濤《おおなみ》を眼《ま》のあたり見るような、烈しい生存の渦中に身を投げて、
前へ 次へ
全40ページ中35ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
白柳 秀湖 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング