よわ》い足の下にさえも蹂み躙られなければならないのか。
 翌日、千代子は化粧《よそおい》を凝らして停車場に来た。その夕、大槻は千代子を送ってプラットホームに降りたが、上野行きの終列車で帰った。土曜、日曜の夕、その後私は幾たびも大槻が千代子を送って目黒に来るのを見た。二人がひそひそと語らいながら、私の顔を見ては何事か笑い興ずるような時など、私は胸を刳《えぐ》って嬲《なぶ》り殺しにされるような思いがした。
 佳人と才子との恋はその後幾ほどもなく消え失せて大槻の姿は再び目黒の階壇に見られなくなった。例えば曠野に吐き出した列車の煤煙のように、さしも烈しかった世間の噂もいつとはなしに消えて、高谷千代子の姿はいま暮春の花と見るばかり独り、南郊の岡に咲きほこっている。

     十九

 その春のくれ、夏の初めから山の手線の複線工事が開始せられた。目黒|停車場《ステーション》の掘割は全線を通じて最も大規模の難工事であった。小林浩平は数多の土方《どかた》や工夫を監督するために出張して、長峰に借家をする。一切の炊事は若い工夫が交代《かわりばん》に勤めている。私は初めて小林の勢力を眼のあたり見た、私は眼に多少の文字ある駅夫などがかえって見苦しい虚栄《みえ》に執着して妄想の奴隷となり、同輩互いに排斥し合うているのに、野獣のような土方や、荒くれな工夫が、この首領の下に階級の感情があくまでも強められ、団結の精神のいかにもよく固められたのを見て、私はいささか羞かしく思うた。あらぬ思いに胸を焦がして、罪もない人を嫉《ねた》んだり、また悪《にく》しんだりしたことのあさましさを私はつくづく情なく思うた。
 工事は真夏に入った。何しろ客車を運転しながら、溝《みぞ》のように狭い掘割の中で小山ほどもある崖を崩《くず》して行くので、仕事は容易に捗《はかど》らぬ、一隊の工夫は恵比須麦酒《えびすビール》の方から一隊の工夫は大崎の方から目黒停車場を中心として、だんだんと工事を進めて来る。
 初めのうちは小さいトロッコで崖を崩して土を運搬していたのが、工事の進行につれて一台の汽鑵車を用うることになった。たとえば熔炉の中で人を蒸し殺すばかりの暑さの日を、悪魔の群れたような土方の一団が、てんでに十字鍬《つるはし》や、ショーブルを持ちながら、苦しい汗を絞って、激烈な労働に服しているところを見ると、私は何となく悲壮な感に
前へ 次へ
全40ページ中28ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
白柳 秀湖 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング