に大槻の描いた水彩画であろう半紙を巻いたものを提《さ》げている。私はハッとしたが隠れるように項垂《うなだ》れて、繃帯のした額に片手を当てたが、さすがにまた門の方を見返した。
私が見返した時に、二人はちょうど今門を出るところであったが、一斉《いっせい》に玄関の方を振り向いたので、私とパッタリ視線が会うた。私は限りなき羞かしさに、俯向いたまま薬局の壁に身を寄せた。
きのうまで相知らなかった二人がどうして、あんな近附きになったのであろう、千代子が大槻を訪ねたのか、イヤイヤそんなことはあるまい、私は信じなかったが世間の噂では大槻は非常に多情な男で、これまでにもう幾たびも処女を弄《もてあそ》んだことがあるという、そう言えばこの間も停車場《ステーション》でわざわざ千代子の戸《ドアー》を開けてやったところなど恥かしげもなく、あつかましいのを見れば大槻が千代子を誘惑したに相違ない。それにしても何と言うて言い寄ったろうか。
千代子が大槻のところへどこか診察してもらいに行って、この玄関に待ち合わしているところへ大槻が奥から出て来て物を言いかけたに違いない、「マアこっちへ来て画でも見ていらっしゃい」などと言う、大槻はいい男だし、それにあの才気で口を切られた日には、千代子でなくとも迷わない者はあるまい。
佳人と才子の恋というのはこれであろう、大槻が千代子を恋うるのが無理か、千代子が大槻を慕うのが無理か、たとえば絵そらごとに見るような二人の姿を引きくらべて見て私はさらに、「私が千代子を恋するのは無理ではないだろうか」と、われとわが心に尋ねて見たが、今まで私の思うたことのいつか恐ろしい嫉妬《ねたみ》の邪道《よこみち》に踏み込んでいたのに気がつくと、私はもう堪えかねて繃帯の上から眼を蔽《おお》うて薬局の窓に俯伏した。
「藤岡さん、薬が出来ましたよ」と書生は薬を火燈口から差し出してくれたが、私の姿をあやぶんで、
「また痛みますか、どうしたんです?」と窮屈そうに覗《のぞ》きながら尋ねる。
「いいえ、どうも致しません」と私は簡単に応《こた》えて大槻の家の門を出たが、水道の掘割に沿うて、紫苑《しおん》の花の咲きみだれた三田村の道を停車場の方にたどるのである。
私はなぜに千代子のことを想《おも》うてこんなに苦しむのだろう、私はゆめあの女《ひと》を恋してはいない、私がいつまでもいつまでもあの女のこ
前へ
次へ
全40ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
白柳 秀湖 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング