宝島
宝島
スティーブンソン Stevenson Robert Louis
佐々木直次郎訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)船乗《ふなのり》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)|ベンボー提督《アドミラル・ベンボー》屋

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]
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  買うのを躊躇する人に

もしも船乗《ふなのり》調子の船乗物語や、
 暴風雨《あらし》や冒険、暑さ寒さが、
もしもスクーナー船や、島々や、
 置去《おきざ》り人《びと》や海賊や埋められた黄金《おうごん》や、
さてはまた昔の風のままに再び語られた
 あらゆる古いロマンスが、
私《わたし》をかつて喜ばせたように、より賢い
 今日《こんにち》の少年たちを喜ばせることが出来るなら、
――それならよろしい、すぐ始め給え! もしそうでなく、
 もし勉強好きな青年たちが、
昔の嗜好を忘れてしまい、
 キングストンや、勇者バランタインや、
森と波とのクーパー(註一)を、もはや欲しないなら、
 それもまたよろしい! それなら私と私の海賊どもは、
それらの人や彼等の創造物の横《よこたわ》る
 墳墓の中に仲間入りせんことを!
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   第一篇 老海賊

     第一章「|ベンボー提督《アドミラル・ベンボー》屋」へ来た老水夫

 大地主のトゥリローニーさんや、医師のリヴジー先生や、その他の方々《かたがた》が、私に、宝島についての顛末を、初めから終りまで、ただまだ掘り出してない宝もあることだから島の方位だけは秘して、すっかり書き留めてくれと言われるので、私は、キリスト紀元一七――年に筆を起し、私の父が「|ベンボー提督《アドミラル・ベンボー》屋(註二)」という宿屋をやっていて、あのサーベル傷のある日に焦《や》けた老水夫が、初めて私たちの家《うち》に泊りこんだ時まで、溯ることにする。
 私は、彼が、船員衣類箱(註三)を後から手押車《ておしぐるま》で運ばせながら、宿屋の戸口のところへのそりのそりと歩いて来た時のことを、まるで昨日《きのう》のことのように覚えている。背の高い、巌乗な、どっしりした、栗色の男だった。タールまみれの弁髪がよごれた青い上衣の肩に垂れていた(註四)。手は荒れて傷痕だらけで、黒い挫けた爪をしていた。そしてサーベル傷が片頬にきたなく蒼白くついていた。私はまた覚えている。彼は入江を見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]し、そうしながらひとりで口笛を吹いていたが、それから突然、その後もたびたび歌ったあの古い船唄を歌い出したのだった。――

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「死人箱《しびとのはこ》にゃあ十五人――
  よいこらさあ、それからラムが一罎《ひとびん》と!(註五)」
[#ここで字下げ終わり]

 揚錨絞盤《キャプスタン》の梃《てこ》を[#「梃《てこ》を」は底本では「挺を」]※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]すのに調子を合せて歌って嗄《しゃが》らしたらしい、高い、老いぼれたよぼよぼの声だった。それから彼は持っていた木挺のような[#「木挺のような」はママ]棒片《ぼうぎれ》で扉《ドア》をこつこつと叩き、私の父が出ると、ぶっきらぼうにラム酒を一杯注文した。それを持ってゆくと、彼は、酒の品評家のように、ちびりちびりと味いながらゆっくり飲み、その間も、あたりの断崖を見※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]したり店の看板を見上げたりしていた。
「これぁ便利な入江だ。」とようやく彼は言い出した。「この酒屋も気の利いた処《とこ》にあるな。客は多いかね、大将《てえしょう》?」
 父は、いや、残念ながら客はごく少くてどうも、と彼に言った。
「うむ、そうか、」と彼は言った。「じゃあ己《おれ》にゃ持って来いの泊り場所だ。おいおい、お前《めえ》、」と手押車を押して来た男に呼びかけて、「ここへ車をつけて己の箱をおろしてくんねえ。己はしばらくここに泊ることにするぜ。」と言い続けた。「己ぁあっさりした男でな。ラムと|卵かけ塩漬豚肉《ベーコン・アンド・エッグズ》さえあれぁいいんだ。そしてあそこのあの岬を通る船を見張ってるのさ。己を何と言ったらいいって? 船長と言って貰《もれ》えてえ。おお、なるほど、あれか、――そうれ。」と彼は三枚か四枚の金貨を閾《しきい》のところへ投げ出した。「そいつがすっかりなくなったら、そう言って来い。」と司令官のように厳《いかめ》しい顔をして言った。
 そして、実際、衣服こそ粗末でものの言い方もぞんざいではあったけれども、彼には平水夫《ひらすいふ》らしいところは少しもなく、平生人をこき使ったりぶん殴ったりし慣れている副船長か船長のように思われた。手押車を押して来た男の話によれば、彼はその日の朝「|ジョージ王《ロイアル・ジョージ》屋」のところで駅逓馬車(註六)を降り、海岸沿いにどんな宿屋があるかと尋ねて、私の家が多分評判がよく、また一軒離れていると聞かされたのであろう、他のところよりも私の家を滞在処に択んだのだという。そしてこの客人について私たちの知り得たことはそれだけだった。
 彼はいつもごく無口《むくち》な男であった。昼は一日中、真鍮の望遠鏡を持って、入江の周りや、または断崖の上をうろついていた。晩はずっと談話室《パーラー》の隅の炉火のそばに腰掛けて、あまり水を割らない強いラムを飲んでいた。話しかけられても大抵は口を利かなかった。ただ不意におそろしい顔をして見上げ、霧笛のように鼻を鳴らすだけだった。で、私たちも家《うち》のあたりへ来る人々も間もなく彼を相手にしないようになった。毎日、彼は、ぶらぶら歩きから帰って来ると、だれか船乗《ふなのり》が街道を通って行かなかったかと尋ねるのが常であった。初めのうちは、私たちは、彼がこういう質問をするのは自分と同じ仲間がほしいからだと思っていた。が、彼には、彼がそういう連中を避けたがっているのだということがわかりかけて来た。海員が「ベンボー提督屋」に泊ると(折々海岸伝いにブリストル(註七)へ行く者が泊ることがあったのだ)、彼はカーテンをつけてある入口からその男を覗いて見てから、談話室へ入るのであった。そしてだれでもそういう人のいる時には、彼はいつでも必ず小鼠のようにこっそりしていた。少くとも私だけには、この事柄は不思議ではなかった。というのは、私は幾分彼と懼れを共にする者であったからである。彼は或る日私を脇へつれて行き、もし「一本脚の船乗を油断なく」見張っていて、見えたらすぐに知らせてくれさえしたら、毎月の一日に四ペンス銀貨を一枚ずつやると約束したのだ。月の一日が※[#「廴+囘」、第4水準2−12−11]って来て、私が自分の報酬を請求すると、彼はただ私に向って鼻を鳴らして、私をじっと睨みつけることが、たびたびあった。が、その週の終らないうちに必ず考え直して、その四ペンスの銀貨を持って来てくれ、「一本脚の船乗」に気をつけておれという例の命令を繰返した。
 その人物がどんなに私の夢を悩ませたかは、言うまでもないくらいである。嵐の夜々、風が家全体を揺り動かし、激浪が入江や断崖に轟きわたる時には、その男がいろいろの姿で、またいろいろの悪魔のような形相をして現れるのであった。時には脚が膝のところで切れており、時には股《もも》のつけ根から切れていた。また時には、もとからその一本脚しかなくて、それが胴体の真中についているという怪物であることもあった。その男が生垣《いけがき》や溝を跳び越えてぴょんぴょん跳びながら私を追っかけて来るのは、中でも一番怖しい悪夢であった。で、結局、私は毎月四ペンスの金《かね》を貰うためにこんな忌わしい妄想に悩まされて、かなり割が合わない訳だった。
 しかし、私はその一本脚の船乗のことを思うとそんなに脅かされはしたけれども、船長その人には彼を知っている他のだれよりもずっと怖《こわ》くはなかった。彼は頭がもたないほどのたくさんのラムを飲む晩もあったが、そういう時には、時としては、坐りこんで例のいやな古い奇怪な船唄を歌い、だれをも念頭に置かなかった。が「時には、みんなにぐるりと杯をゆきわたらせて、ぶるぶるしている一座の者すべてに、無理に自分の話を傾聴させたり、自分の歌う後をつけて合唱させたりすることもあった。「よいこらさあ、それからラムが一罎《ひとびん》と」で家が家鳴《やな》りするのを、私はたびたび聞いたことがある。近所の人々は皆びくびくしながら一所懸命に歌う仲間入りをし、目をつけられないようにと銘々が互に競って大声を出して歌ったのだ。なぜなら、こういう発作の時には彼はこの上なく高飛車に出たからで、みんなに黙れと言ってテーブルを手でぴしゃりと打つ。何か尋ねるとかっと癇癪を起したり、時には何も尋ねないからと言って、一座の者が自分の話を聞いていないのだときめこんで、怒ったりする。そして、自分が眠くなるまで飲んで寝床へよろめきこむまでは、だれ一人も宿屋を立去らせようとしないのであった。
 彼の話は中でも最も人々を怖がらせたものであった。それは実に恐しい話だった。首絞《くびし》めや、板歩かせ(註八)や、海上の暴風雨《あらし》や、ドゥライ・トーテューガズ(註九)や、スペイン海(註一〇)での乱暴な所業やそこの土地土地などの話だった。彼自身の言うところから察すれば、彼はかつて海上を航海した最も邪悪な人間どもの間で過して来た者に相違ない。そして彼がこういう話をする時の言葉遣いは、彼の語った罪悪とほとんど同じくらいに、樸訥な私たちの田舎の人々をぞっとさせたのであった。父は、これでは宿屋も潰されてしまうだろう、やたらにいじめつけられ、口を利けば呶鳴《どな》りつけて黙らされ、震えながら寝床へやらされるのでは、間もなくだれもここへ来なくなるだろうから、といつも言い言いしていた。しかし、私は、彼が泊りに来たことは私たちのためになったと、ほんとうに信じている。人々もその当時は怖がっていたが、しかし振り返ってみると彼のいたことをむしろ好いていたのだ。それは平穏無事な田舎の生活には素敵な刺激だった。そして、若い人たちの中には、彼のことを「まことの船乗」だとか、「ほんとの老練な水夫」だとか、その他そういうような名で呼び、イギリスが海上で覇をなしたのはああいう類《たぐい》の人がいたればこそだと言って、彼に敬服するような顔をする連中さえもいたのである。
 一方から言えば、実際、彼は私たちの家を潰しそうにも思われた。というのは、彼は幾週も幾週も、そうしてついには幾月も幾月も滞在し続けたので、前の金はみんなとっくに使い尽したのだが、それでも父にはどうしてもまた勘定を頂きたいと言い張るだけの勇気が出なかったのである。もしいつでもそれをちょっと口に出したところで、船長は唸ると言ってもいいくらいに大きく鼻息を鳴らして、可哀そうな父を睨みつけて部屋から追い出してしまうのだった。そんなのにはねつけられた後に父が両手を揉み絞って(註一一)いるのを私は見たことがある。そして、そんな苦悩や恐怖の中に日を送ったことがきっと父の不幸な若死《わかじに》をよほど早めたのに違いないと思う。
 船長は、私たちのところにいた間に、靴下を数足行商人から買った他《ほか》には、身につけるものを何一つ変えたことがなかった。帽子の縁《ふち》の上反《うわぞり》が一箇処垂れると、彼はその日以来それをぶら下げておき、風の吹く時などずいぶんうるさいにも拘らず、そのままにしていた。私は彼の上衣の有様も覚えているが、彼は二階の自分の部屋でそれに綴布《つぎ》をあて、死ぬ前にはそれはまったく綴布だらけだった。彼は手紙を一度も書くこともなければ受取ることもなかったし、近所の人たち以外にはだれ
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