。嫌疑がかかるからな。己ぁ五十だぜ、いいかね。今度の航海から帰《けえ》りせえすりゃ、真面目《まじめ》な紳士の暮しを始めるんだ。まだずいぶん早《はえ》え、ってお前は言うだろう。ああ、だが己は今までだって安楽に暮して来たのだ。してえと思うことでやらなかったことは何一つなかったし、いつも柔かな寝床に寝てうめえものばかり食ってたんだ。海に出てる時だけあ別だがね。その己が初めはどうだったかね? お前と同じに、平水夫さ!」
「なるほど、」と一方の男が言った。「だが他の金はみんなもうなくなった訳ですね? これから後はあんただってブリストルへは顔が出せねえでしょう。」
「じゃあ」己の金がどこにおいてあると思うかね?」とシルヴァーは嘲笑《あざわら》うように尋ねた。
「ブリストルにさ、銀行だの何だのにな。」と相手の男が言った。
「この船が錨を揚げた時にゃあそうだったのさ。」と料理番《コック》は言った。「だが今時分は己の女房がそいつをすっかり握ってるのだ。そして『遠眼鏡《スパイグラース》屋』は借地権も暖簾《のれん》も道具一式もすっかり売り払って、嬶《かかあ》どんは己と逢うためにそこを出ているよ。己はお前を信用してるから、どこで逢うことにしているのか言ってやってもいいが、そうすると仲間の奴らが嫉むだろうからな。」
「で、あんたはおかみさんを信用出来るのかい?」と一方の男が尋ねた。
「分限紳士って者は、」と料理番が答えた。「普通は仲間同志じゃあんまり信用しねえものだ。そしてそれももっともなんだ、確かにな。だが、己にゃあまた己の流儀があるのさ。だれかが仲間の者を裏切るなんてこたぁ、――己を知っているだれかのことだが、――このジョンのいる同じ場所じゃ起りっこねえんだ。ピューを恐れてる奴もいた。またフリントを恐れてる奴もいた。がそのフリントはまたフリントで己を恐れていた。恐れてはいたが、また己のことを自慢にもしていた。あいつらはこの上なしの乱暴な船乗だった、フリントの船員はな。悪魔だってあいつらと一緒に海へ行くのは尻込みしたろうよ。ところでだ、ほんとのところ、己は法螺吹きじゃねえし、お前の見てる通り己は仲間を仲よくさせているが、己が按針手だった時にゃあ、フリントの手下の海賊どももおとなしいことったら、小羊[#「小羊」に傍点]と言ったって追っつかねえくれえだったぜ。ああ、お前だってこのジョンと一緒の船にいりゃあひとりでにわかるよ。」
「いや、実はね、」と若者が答えた。「ジョン、あんたと今の話をするまでは、あっしは今度の仕事は大して気が進まなかったんでさ。だがもうわかった。握手しましょう。」
「お前は強え男だ。おまけにはしっこい。」とシルヴァーは、樽ががたがた揺れるくらい心をこめて握手しながら、答えた。「それに分限紳士としちゃあ己の見たことのねえくれえ男前がいいしな。」
この時分には、彼等の遣っている言葉の意味が私にはわかりかけていた。「分限紳士」というのは明かに普通の海賊のことに違いなく、(註五一)私の窃《ぬす》み聞きしたこの小場面は、実直な船員の一人が堕落させられる最後の一幕だったのだ。――恐らくそれは船中に残っている最後の実直な者であったのだろう。しかし、この点では私は間もなく安堵させられる話を聞いたのだ。シルヴァーがちょっと口笛を吹くと、もう一人の男がぶらぶら歩いて来て二人のそばに坐った。
「ディックは話がついたよ。」とシルヴァーが言った。
「おお、ディックが話がつくってこたぁ己ぁ知ってたよ。」と舵手《コクスン》のイズレール・ハンズの声が答えた。「この男は馬鹿じゃねえからな、このディックは。」それから彼は噛煙草をぐにゃぐにゃやって唾をぺっと吐いた。「だが、おい、」と続けて言った。「己の聞かして貰《もれ》えてえのはこういうことさ、|肉焼き台《バービキュー》。一|体《てえ》、いつまで己たちはうろうろ舟みてえにぐずぐずしてるんだね? 己ぁもうスモレット船長《せんちょ》にゃうんざりしてる。奴は永《なげ》えこと己をこき使いやがったよ、畜生! 己ぁあの船室《ケビン》へ入りてえんだ、そうさ。奴らの漬物《ピックル》だの葡萄酒だの何だのがほしいんだ。」
「イズレール、」とシルヴァーが言った。「お前の頭は大して役に立たねえぞ、相変らずな。だがお前は聞くことだけは出来そうだ。何しろでっけえ耳をしているからな。ところで、己の言うことはこうだ。お前は水夫部屋に寝てるんだ、せっせと働くんだ、丁寧な口を利くんだ、酔っ払わずにいるんだ、己が命令するまではだ。その通りにしてるんだぞ、小僧。」
「うむ、いやだなんて己は言やしねえ。言ったけえ?」と舵手はぶつぶつ言った。「己の言うのは、いつだ? ってえんだ。それが己の言ってることなんだ。」
「いつだと! こん畜生!」とシルヴァーが叫んだ。「よし、では、聞かして貰えてえんなら、いつだか言ってやろう。己がこれならやれると思う最後のぎりぎりの時、それがその時なんだ。スモレット船長という立派な海員《けえいん》がいて、この有難《ありがて》え船を己たちのために動かしてくれる。あの大地主と医者の奴が地図やなんぞを持っていてくれる。――それがどこにあるのか己にはわからねえじゃねえか? お前たちだってわからねえだろ。そこでだ、己は、あの大地主と医者とに金《かね》をめっけ出させて、それを船に積み込む手伝いをさせてやろう、ってつもりなんだ。それからがこっちのやる番だよ。もしお前たち大馬鹿野郎どもがみんなが頼りになるなら、己は、スモレット船長にまた船を半分途まで戻させて、それからやっつけるのだ。」
「なあに、ここに乗ってる己たちだってみんな海員だ、と己は思うんだがな。」と若者のディックが言った。
「己たちだってみんな平水夫だ、って言う間違えだろうよ。」とシルヴァーがつっけんどんに言った。「なるほど己たちは一つの針路に船を進めることは出来るが、しかしだれがその針路をきめるんだい? お前さん方みんながたびたびしくじるのは、そこなんだ。もし己の思う通りにするとすりゃあ、己はスモレット船長に少くも貿易風の中まで船を戻させる。そうすりゃ、いまいましい見込違いもなければ、一日にちょっぴりの水だけ飲んでなけれぁならんような目にも遭わずにすむだろう。だが手前たちがどんな質《たち》の連中か己は知ってる。現なまを船に積み込み次第《しでえ》、己は島で奴らをやっつけねばなるめえ。情《なさけ》ねえやり方さ。しかし手前たちは酔っ払うまでは決して仕合せになれねえって連中なんだ。えい、糞いまいましい、手前たちのような手合と一緒に船に乗ってるのはつくづく厭《いや》んなっちゃうぜ!」
「止《や》めろよ、のっぽのジョン。」とイズレールが叫んだ。「だれがお前《めえ》に逆《さから》ったい?」
「うむ、己がこれまでにどれほどたくさんの立派な船が舷側《ふなばた》に攻め寄せられたのを見て来たとお前は思う? それから、どれほどたくさんの元気な若え奴らが仕置波止場(註五二)で天日に曝されたのを見たと思う?」とシルヴァーが叫んだ。「そりゃあみんな、ただ急ぎに急いだからなんだぜ。わかったか? 己は海のことならちったぁ心得てるんだ、己はな。もし手前たちが今のままにして、うまくやってきせえすれぁ、馬車に乗って歩く身分になれるのだ、そうともよ。だが手前たちゃ駄目さ! 己はお前たちを知ってる。お前たちは明日にでもラムを一口飲んで、縊り殺されることになるだろうよ。」
「お前が牧師みてえな男だってこたぁだれだって知ってるよ、ジョン。だが、他《ほか》にもお前と同じくれえ帆も捲けれぁ舵も取れる者だっているぜ。」とイズレールが言った。「奴らはちっとは遊びも好きだった、そうとも。とにかく、奴らはそんなに世間離れがしてねえで、どいつもみんな陽気に大尽遊びをやったものさ。」
「そうかね?」とシルヴァーが言った。「なるほど。で、その連中は今はどこにいる? ピューはそんな風な奴だったが、乞食になって死んじまった。フリントもそうだったが、サヴァナでラムで命をなくした。ああ、あの連中は立派な船乗だった、ほんとにな! ただ、今はどこにいる?」
「しかしねえ、」とディックが尋ねた。「奴らを攻撃して、それから奴らをどう始末するんですね、とにかく?」
「うん、お前はさすがだ!」と料理番は感歎したように叫んだ。「それが己が仕事と言ってることだよ。ところで、お前はどう思う? 島流しみてえに奴らを島に残して来るかね? それならイングランドのやり方だろう。それとも豚肉《ぶたにく》みてえに奴らを叩っ切るかね? それならフリントかビリー・ボーンズのやり方だろうな。」
「ビリーはそれにゃお誂《あつれ》え向きの男だったな。」とイズレールが言った。「『死人《しびと》は咬みつかず』って奴《やっこ》さんはよく言ってたっけ。ところで、今じゃ自分で死んでござるので、咬みつくかつかねえかってことはちゃんと何もかも御存知の訳だ。もし今までに荒っぽい船員があの世へ行ったことがあるとすりゃ、それぁビリーだな。」
「お前の言う通りだ。」とシルヴァーが言った。「荒っぽくてめちゃな奴だった。だが、いいかね。己は穏かな人間だ、――まるで紳士だ、ってお前たちも言うだろう。しかし今度は大事《でえじ》な場合だ。やることはやらにゃならんよ、兄弟《きょうでえ》。己は投票する、――殺しちゃう方へだ。己が国会にいて、馬車に乗って歩いている時に、あの船室《ケビン》にいる口やかましい奴どもにゃ一人だって帰って来て貰えたかねえ、お祈りの式に出て来た悪魔みてえに思いがけなくな。己の言うのは待てということだ。しかし時機が来たら、やっつけるのだ!」
「ジョン、お前は偉者《えらもの》だ!」と舵手が叫んだ。
「見てからそう言うがいいさ、イズレール。」とシルヴァーは言った。「たった一つ己に望みがある、――トゥリローニーが望みだ。己はこの手であの間抜野郎の首を胴体から捩じ切ってやるのだ。ディック!」と彼は急に言葉を止めて言い足した。「お前、いい子だから、ちょっと跳び上って、己に林檎を一つ取ってくれ。咽《のど》を湿《しめ》すんだから。」
その時の私の恐怖は想像出来るであろう! その力さえあったなら私は跳び出て逃げ出したことだろう。けれども私の手足も心も同様に私をためらはせた。ディックが立ち上りかけるのが聞えた。それからだれかが彼を止めたようだった。そしてハンズの大声に言う声が聞えた。――
「おお、止《よ》せ止せ! その樽の中のものなんかしゃぶるなよ、ジョン。ラムを一|杯《ぺえ》やろうじゃねえか。」
「ディック、」とシルヴァーが言った。「お前を信用するよ。樽の上に計量器がある、いいかい。それ、鍵だ。小皿に一杯入れて持って来てくれ。」
私はびくびくしてはいたけれども、アローさんが身を滅ぼすようになった強い酒を手に入れたのも、こんな風にしてだったに違いない、と思わずにはいられなかった。
ディックはほんのしばらくの間行っていたが、彼のいない間イズレールは料理番にずっと囁き続けていた。私の聞き取れたのはほんの一二語に過ぎなかったけれども、それでも私は重大な消息を知った。というのは、他にも同じような意味のきれぎれの文句の他に、こういう文句全体が聞えたからである。「あいつらはもう一人もこっちへつくめえよ。」とすると、船中にはまだ忠実な船員もいる訳であった。
ディックが戻って来ると、三人は順々に小皿を取って飲んだ。――一人は「運がいいように。」と言って飲み、もう一人は「フリントのために祝杯を。」と言って飲み、シルヴァーは歌のような調子で「己たちのために祝杯を挙げる。しっかりやるんだ。そうすりゃ獲物はどっさり、御馳走もどっさりだ。」と言って飲んだ。
ちょうどその時、樽の中にいる私に何だか明るい光がぱっと射《さ》して来た。見上げると、月が昇っていて、後檣《ミズンマスト》の頂を銀色にし、前檣帆《フォースル》の前縁に白く輝いているのだった。そして、それとほとんど同時に、見張りの者の声が「陸が見えるぞう!」と叫んだ。
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