ヒスパニオーラ号があって、ほとんどそれに会い損うはずがなかった。
 初めは船は私の前に何か暗闇よりももっと黒いものの汚点のようにぼうっと見えていたが、それからその円材や船体が形をなして見え始めたかと思うと、次の瞬間には、というように思われたのであるが(なぜなら、先へ進むにつれて、退潮《ひきしお》の流れがだんだん疾くなって来ていたから)、私はもう船の錨索のそばに来ていたので、すぐにそれを掴まえた。
 錨索は弓の弦《つる》のようにぴんと張っていた。――船はそれほど強く錨をひっぱっていたのだ。船体の周りでは、真黒な闇の中で、漣《さざなみ》を立てた潮流が小さな山川のように泡立ちさざめいていた。私の船用|大形ナイフ《ガリー》でぷっつりと切ってやれば、ヒスパニオーラ号はぶんぶん帆を唸らせながら潮流と共に流れ下るだろう。
 ここまではよかった。しかし次に私の思い浮べたのは、ぴんと張っている錨索を急に切るというのは、蹴る馬のような危険なものだということだった。もしヒスパニオーラ号を錨から切り離すような無鉄砲なことをしようものなら、九分九厘まで、私と革舟とはまるっきり空中へ叩き飛ばされるだろう。
 それで私はそのことはすっかり思い止《とど》まった。そして、もし幸運が再び私に特別に恩恵を与えてくれなかったなら、私は自分の計画を放棄しなければならなかったろう。けれども、南東南から吹き始めていた弱い微風は、日が暮れてからは、次第に南西風に変っていた。ちょうど私が考えこんでいる間に、一陣の風が起って、ヒスパニオーラ号に吹きつけ、船を潮流の中へ無理に押し上げた。そのために、非常に嬉しかったことには、錨索が私の手の中で弛んだのが感じられ、それを掴んでいた手がちょっとの間水の下へ入った。
 そこで私は決心して、大形ナイフを取り出し、歯でそれを開いて、索の股《こ》を一つ一つと切り、とうとう船は二つの股で揺れ動いているだけになった。それから私はじっとして、もう一度風が吹いて来て索の緊張が緩んだらこの残りの股を切断しようと待っていた。
 この間中、船室《ケビン》から高い声が聞えていた。が、実を言えば、私は他の考えにすっかり気を取られていたので、それにはほとんど耳を籍《か》さずにいた。けれども、もう他にすることがなくなったので、もっとそれに注意し始めた。
 一方の声は、以前フリントの砲手だったという舵手《
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