いものである。しかもそれがいままでにしばしば、たいへんしばしば、起ったということは、ものを考える人にはほとんど否定しがたいことであろう。生と死とを分つ境界はどう見ても影のような漠然としたものである。どこで生が終りどこで死が始まるのか、ということは誰が言えよう? 我々は、生活力のすべての外見的の機能がまったく停止し、しかもその停止は正しく言えば単に中止にすぎないような、病気のあることを知っている。それはただこの理解しがたい機関が一時的に休止したにすぎない。ある期間がたてば、なにか眼に見えない神秘的な力がふたたび魔術の歯車を動かし、それから魔法の車輪を動かす。銀《しろがね》の紐《ひも》は永久に解けたのではなく、また金《こがね》の盞《さら》は償いがたいほど砕けたのでもない(6)のだ。だがいったいそのあいだ霊魂はどこにあったのか?
しかし、こういう結果を生まなければならないというような――生活力の中止ということが周知のように起ることは、当然、早すぎる埋葬ということをときどきひき起すにちがいないというような――先験的《ア・プリオリ》の必然的結論は別として、我々はこのような埋葬が実際にたいへん多
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