の俘虜《ふりょ》の窒息死(5)などの記事を読むとき、もっとも強烈な「快苦感」に戦慄《せんりつ》する。しかし、これらの記事が人を感動させるのは、事実であり――現実であり――歴史であるのだ。虚構の話としては、我々は単純な嫌悪の情をもってそれらを見るであろう。
私は記録に残っている比較的有名で壮大な惨禍の四、五を挙げたのであるが、これらがこんなに強烈に人の心に感動を与えるのは、その惨禍の性質によるのと同様に、その大きさによるのである。私がここに人類の災害の長い不気味な目録《カタログ》のなかから、これらの広大な一般的な災厄のどれよりも本質的な苦痛に満ちている、多くの個人的の実例を選びだしてもいいことは読者に告げるまでもないであろう。実際、真の悲惨――どたんばの苦悩――は個人的のものであり、一般的のものではない。戦慄すべき極度の苦痛が単なる個人によって耐えぬかれ、決して集団の人間によってではないこと――このことにたいして我々は慈悲深い神に感謝しよう!
まだ生きているあいだに埋葬されたということは、疑いもなくかつてこの世の人間の運命の上に落ちてきた、これらの極度の苦痛のなかでも、もっとも恐ろし
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