々しく四方から聞こえていた。しかしあたりは静かで、ただ書斎の床をあちこちと歩き回っている足音だけがきこえていた。
「ああして一日中歩いているのですよ、」とプールが囁いた。「いいえ、昼間ばかりか、夜も大抵はああなのでございます。ただ薬屋から新しい見本が参りました時だけ、ちょっとやむのです。ああ、あんなにまで落着けないのは良心が咎めるからですよ! ああ、旦那さま、あの一歩一歩に人殺しをして流した血があるんですよ! だがもう一度聴いてごらんなさいまし、もう少し近くへ寄って、――ようく耳を澄ましてごらんなさいまし、アッタスンさま。あれが博士の足音でございましょうか?」
 その足音は、非常にゆっくり歩いていたにも拘らず、威勢のよい調子の、軽やかな奇妙なものであった。ヘンリー・ジーキルの重々しい軋むような足取りとは全く違っていた。アッタスンは溜息をついた。「ほかに何も変ったことはないかね?」と彼は尋ねた。
 プールはうなずいた。「一度、」と彼が言った。「一度私はあれが泣いているのを聞きました!」
「泣いていた? それはどうした訳で?」と弁護士は急に恐怖の寒気を覚えながら言った。
「女か、それとも地獄へ堕ちた亡者みたいに泣いておりました、」と召使頭が言った。「それを聞いて戻って来ますと、それが心に残って、私までも泣きたくなるくらいでした。」
 しかしその時、約束の十分も終りかけていた。プールは積み重ねてある荷造り用の藁の下から斧を引き出した。蝋燭は、攻撃にかかる二人を照らすために、一番近くのテーブルの上に置かれた。そして二人は、夜の静けさの中を、あの根気強い足首がやはり往ったり来たり、往ったり来たりしているところへと、息を殺してちかよって行った。
「ジーキル、」とアッタスンが大声で呼んだ、「僕は君に会いたいのだ。」彼はちょっと言葉を切った。が何の返事もなかった。「僕は君にはっきり警告するが、我々は疑いを起こしたのだ。それでわたしは君に会わなければならんし、また会うつもりだ、」と彼は言葉を続けた。「もし正当な手段で会えなければ、非常手段ででも、――もし君の同意がなければ、暴力を用いてでもだ」
「アッタスン、」とさっきの声が言った、「後生だから、容《ゆる》してくれ!」
「ああ、あれはジーキルの声じゃない、――ハイドの声だ!」とアッタスンが叫んだ。「ドアを打ち破れ、プール。」
 プール
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