卑な周囲からさえぎってしまった。そこがヘンリー・ジーキルのお気に入りの男、正貨二十五万ポンドの相続者である人物の住居なのであった。
象牙のような色の顔をした銀髪の老婦人が入口の戸を開けた。猫をかぶって愛想よくした悪相な顔をしていた。しかし客に対するふるまいは立派だった。彼女は言った。さようでございます、こちらはハイドさんのお宅です。けれども唯今御不在です。昨晩は大そうおそくお戻りでしたが、一時間とたたないうちにまたお出掛けになりました。それは別に珍しいことではありません。あの方はふだんから大変不規則な習慣でして、よくお留守になさいます。現に、昨日お帰りになりましたのもかれこれ二月振りでした、と。
「じゃよろしい、僕たちはあの人の部屋を見たいのだ、」と弁護士が言った。そしてその女がそれはできませんと言いかけると、「この方がどなただかおまえさんに言っておく方がよかろう、」と言い添えた。「これはロンドン警視庁のニューカメン警視さんだ。」
憎ったらしい喜びの色がさっとその女の顔に現われた。「ああ! あの人は挙げられたんですね!」と彼女は言った。「何をしたのでしょう?」
アッタスン氏と警視とはちらりと眼を見合わせた。「あの男はあまり人に受けのいい人物ではないようですな、」と警視が言った。「ではね、お婆さん、僕とこのお方にちょいとそこらを見せて貰いたい。」
その老婦人さえいなければ空家であるその家全体の中で、ハイド氏はたった二室しか使っていなかったが、その二室は贅沢によい趣味で家具を備えつけてあった。戸棚には葡萄酒が一ぱい入っていたし、食器類は銀製だし、テーブルかけも高雅だった。壁には立派な絵が懸っていたが、それは(アッタスンの推測では)なかなかの美術鑑識家であるヘンリー・ジーキルからの贈物であろう。絨毯は幾重にもなった厚いもので、色合いも気持のいいものであった。しかし、この時には、最近にあわててひっかき回したらしい形跡がいろいろあった。衣服はポケットを裏返しにしたまま床《ゆか》のあたりに散らばっていたし、錠の下りるひきだしは開けっ放しになっていたし、炉床には、たくさんの書類を焼いたらしく、黒い灰が山になっていた。その燃え屑の中から、警視は燃え残った緑色の小切手帳の端っこを掘り出した。例のステッキの片方の半分もドアのうしろから見つけ出された。これで彼の嫌疑が確かになった
前へ
次へ
全76ページ中22ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
佐々木 直次郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング