探るような様子で私を見た。
「ところで今度は、」と彼が言った、「残っていることを片づけるとしましょう。君は知りたいですか? 君は教わりたいですか? 君は私にこのグラスを手に持ってこれきり何も話をせずにこの家から出て行かせるつもりですか? それとも好奇心が強くて聞かずにはいられないのですか? よく考えてから返事して下さい。君の決める通りにしますから。君の決め方によって、君を前のままに残しておいて上げよう。前よりも富むのでもなく前よりも知識があるのでもなくしておいて上げよう。死ぬような苦しみをしている人間に尽力をしてやったという意識が一種の精神上の富と見なされるのでなければですがね。それともまた、もし君がその方を望むならば、知識の新しい領域や、名声や権力をうる新しい大道を、たちどころに、ここで、この部屋で、君の前にひろげてみせて上げよう。魔王の不信仰をも揺るがせるような奇怪なものを見せて、君の眼を眩ませて上げよう。」
「君、」と私は、冷静さをほんとうには持っているどころではなかったが、強いてそれを装って言った、「君は謎のようなことを言われる。わたしが君の言葉を大して信用しないで聞いていると言っても君はたぶん不思議にも思われはしないだろう。しかし、わたしも訳のわからぬ御用をここまでして深入りしたんですから、おしまいまで見せて貰うことにしましょう。」
「よろしい、」とその訪問者が答えた。「ラニョン君、君は自分の誓ったことを覚えているでしょうな。これからのことは我々の職業上秘密を守るべきことなのです。さあ、君は永いあいだ実にかた意地な唯物的な見方にとらわれてきたが、そして霊妙な薬の効能を否定して、自分の目上の者たちを嘲笑してきたが、――これを見給え!」
 彼はメートル・グラスを口にあてると、ぐっと一息に呑み下した。すると叫び声をたてて、ひょろひょろとよろめき、テーブルを掴まえてしっかとしがみついたまま、血走った眼でじっと見つめ、口を開けて喘いだ。見ているうちに変化が起こったように私は思った。――彼は膨れるように見え、――彼の顔は急に黒くなり、目鼻立ちが融けて変ったように思われ、――そして次の瞬間には、私は跳び立って壁に凭れかかり、その怪物から自分の身を護ろうと腕を上げ、心は恐怖で一ぱいになった。
「おお、これは!」と私は叫び、そして二度も三度も「おお、これは!」とくり返した。
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