ウィリアム・ウィルスン
WILLIAM WILSON
エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe
佐々木直次郎訳
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【テキスト中に現れる記号について】
《》:ルビ
(例)妖怪《ようかい》
|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)比較的|真面目《まじめ》な
[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
(例)[#ページ左下]
〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Oh, le bon temps, que ce sie`cle de fer!〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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[#ページ左下]
[#ここから17字下げ]
それをなんと言うのだ? わが道に立つかの妖怪《ようかい》、恐ろしき良心[#「良心」に傍点]とは?
[#ここで字下げ終わり]
[#地付き]チェインバリン(1)「ファロニダ」
[#改ページ]
さしあたり、私は自分をウィリアム・ウィルスンという名にしておくことにしよう。わざわざ本名をしるして、いま自分の前にあるきれいなページをよごすほどのことはない。その私の名前は、すでにあまりにわが家門の侮蔑《ぶべつ》の――恐怖の――嫌悪《けんお》の対象でありすぎている。怒った風は、その類《たぐ》いなき汚名を、地球のはてまでも吹き伝えているではないか? おお、恥しらずな無頼漢《ならずもの》のなかの無頼漢! ――現世にたいしてお前はもう永久に死んでいるのではないか? その名誉にたいして、その栄華にたいして、その燦然《さんぜん》たる大望にたいして? ――そして、濃い、暗澹《あんたん》とした果てしのない雲が、とこしえにお前の希望と天国とのあいだにかかっているのではないか?
私はいまここで、たといそれができたにしても、自分の近年のなんとも言いようのない不幸と、許しがたい罪悪との記録を書きしるそうとはしまい。この時期――この近年――に背徳行為が急にひどくなったのであって、そのそもそものきっかけだけを語るのが、私のさしあたっての目的なのである。人間というものは普通は一歩一歩と堕落してゆくものだ。ところが、私の場合では、あらゆる徳が一時にマントのようにそっくり落ちてしまった。わりあいに小さな悪事から、私は大またぎにエラガバルス(2)だってやれないような大悪無道へ跳びこんだ。どうしためぐり合せで――どんな一つの出来事からこんな悪いことになったのか、私が語るあいだ、しばらく耳を貸していただきたい。死は近づく。それを前ぶれする影は、私の心をやわらげる。ほの暗い谷(3)を歩みながら、私は世の人々の同情を――むしろ憐《あわ》れみをと言いたいのであるが――切望している。自分がいくらかは人間の力ではどうにもできない境遇の奴隷《どれい》であったということを、私は世の人々に信じてもらいたいのだ。これから語ろうとする詳しい話のなかで、私のために、広漠《こうばく》とした罪過の砂漠のなかにいくつかの小さな宿命[#「宿命」に傍点]のオアシスを、捜し出してもらいたいのだ。以前にもこれほど大きな誘惑物は存在したではあろう。が、しかし、少なくともこんなふうに[#「こんなふうに」に傍点]人間が誘惑されたことは前には決してなかった――たしかに、こんなふうに[#「こんなふうに」に傍点]落ちこんだことは決してなかった――ということを認めてもらいたいのだ。――これは誰でも認めずにはいられないことであるが。とすると、こんなふうに苦しんだ人間はいままでに一人もなかったのであろうか? 実際、自分は夢のなかに生きてきたのではなかろうか? そして自分はいま、この世のあらゆる幻影のなかでももっとも怪奇なものの、恐怖と神秘との犠牲として死んでゆくのではなかろうか?
私は、想像力に富んで、しかもたやすく興奮する気質のために昔からずっと有名だった一族の子孫である。そして、まだごく幼いころから、この家族の性格を十分にうけついでいる証拠をあらわしていた。成長するにしたがって、その性格はいっそう強く発達し、いろいろな理由で、友人たちにはたいへん心配をかけたし、また自分自身には非常な損害をかける原因となった。私は我儘《わがまま》になり、もっとも放縦な気まぐれにふけり、まったく手におえない激情の虜《とりこ》となってしまった。両親は、気が弱く、私自身と同じような生れつきの虚弱に悩まされていたので、私の特徴となったその悪い性癖をとめることはとてもできなかった。幾たびかの弱い、方針を誤った努力は、親たちのほうの完全な失敗に、そしてむろん私のほうの完全な勝利に、終ったのだ。そのときから私の言葉は一家の法律となった。そして、普通の子供ならまだ手引紐《てびきひも》(4)さえ放せないような年ごろから、私は自分の思うままにさせられ、名だけは別として、自分の行為の主人公となったのであった。
学校生活についての私のいちばん古い思い出は、霧のかかったようなあるイングランドの村にある、大きな、不格好な、エリザベス時代風の建物につながっている。その村には節瘤《ふしこぶ》だらけの大木がたくさんあって、どの家もみなひどく古風だった。実際、その森厳な古い町は、夢のような、心を鎮《しず》めてくれる場所であった。いまでも、私は、空想でそこの樹陰ふかい並木路《なみきみち》のさわやかな冷たさを感じ、そこの無数の灌木《かんぼく》のかぐわしい芳香を吸いこみ、組子細工のゴシック風の尖塔《せんとう》がそのなかに包まれて眠っているほの暗い大気の静寂をやぶって、一時間ごとにふいに陰鬱《いんうつ》な音をたてて響きわたる教会の鐘《ベル》の深い鈍い音色に、なんとも言えない喜びをもって新たにうち震えるのである。
この学校と、それに関したこととの、こまかな思い出にふけることがおそらく、いま自分のどうやら経験できるいちばん多くの快楽を私に与えてくれるのだ。私は不幸のなかにひたされてはいるのだが――ああ! ただあまりに真実すぎる不幸――二、三のとりとめのない事がらを述べたてて、ほんの少しの一時的なものであろうとも、慰めを求めることは、許してもらえるだろう。そのうえ、これらの事がらは、まったく小さな、またそれだけとしてはばかばかしいものではあるが、のちに自分にすっかり蔽《おお》いかぶさった運命の最初のおぼろげな警告を自分が認めた時と所とに関係のあるものとして、私の空想には偶然的な重大さを持っているものなのだ。だから、回想させてもらいたい。
その家は、前に言ったように、古くて不規則なものであった。構内は広くて、てっぺんにはガラスのかけらを漆喰《しっくい》に植えつけた、高い、丈夫な煉瓦塀《れんがべい》が、その周囲をぐるりと取りまいていた。この牢獄《ろうごく》のような塁壁が私たちの領土の限界になっていたのだった。その外《そと》は、一週に三度しか見られなかった。――一度は毎土曜日の午後に、二人の助教師に連れられて、一団となってどこか付近の野原をしばらく散歩することを許されるときで、――あとの二度は日曜日に、村に一つある教会の朝と夕との礼拝式へ、いつも同じ決ったとおりに列を組んで行くときであった。その教会は、私たちの学校の校長が牧師なのであった。この校長が厳かな、ゆっくりした足どりで説教壇へ上がってゆくのを、私はいつも、廻廊《かいろう》にある遠く離れた私たちの座席から、どんなに深い驚きといぶかしさで眺《なが》めたことであろう! あんなにしかつめらしく温和な顔をして、あんなにつやつやした、あんなに僧侶《そうりょ》らしくひらひらした衣服を着て、あんなに念入りに髪粉をつけた、あんなにいかめしい、あんなに大きな仮髪《かつら》をつけたこの尊い人が、――この人が、ついさっきまで、苦虫をかみつぶしたような顔つきで、嗅煙草《かぎたばこ》でよごれた着物を着て、木箆《きべら》(5)を手にしながら学校の峻厳《しゅんげん》な法則を執行していた人なのであろうか? おお、あまりに奇怪でどうしてもわからない大きな不思議!
その重々しい塀の一つの角に、もっと重々しい一つの門が厳然として立っていた。それは鉄の螺釘《ねじくぎ》を方々に打ちつけて、上にはぎざぎざの鉄の忍返《しのびがえ》しを打ってあった。なんという深い畏怖《いふ》の感じを、それは起させたことであろう!
その門は、さきに述べたあの三回の定期の出入りのときのほかには、決して開かれることがなかった。そして開かれるときには、その巨大な蝶番《ちょうつがい》がぎいっと軋《きし》るたびごとに、私たちはその音のなかに、かずかずの神秘を――厳かな注意や、あるいはもっと厳かな瞑想《めいそう》をそそる多くの事がらを――見出《みいだ》したのであった。
広い構内は形が不規則で、大きなひっこんだ所がたくさんあった。そのなかのいちばん大きな三つ四つのが運動場になっていた。そこは平らかで、細かい堅い砂利を敷いてあった。そこには樹《き》もなければ、腰掛け《ベンチ》もなく、それに類したものがなにもなかったことを、私はよく覚えている。むろんその運動場は家の背後《うしろ》にあったのだ。前面には、黄楊《つげ》やその他の灌木類を植えた小さな花壇があった。しかし、この神聖な区画は、私たちは実際ほんのたまにしか通ったことがなかった。――たとえば、初めて学校へ上がったときとか、最後にそこを去るときとか、あるいはたぶん、親か知人かが迎えにきて、クリスマスや夏休みにいそいそと家へ帰るときとかだった。
だが、その校舎たるや! ――なんという奇妙な古い建物だったろう! ――しかも、私にとってはまったくなんという魔法の宮殿であったろう! その曲りくねりには――そのとても理解できない細かな区分は、ほんとうに果てしもなかった。いつであろうと、いま自分のいるところは一階か二階かということを、確信をもって言うことはむずかしかった。どの室《へや》からでも別の室へ行くには、きっと三段か四段のぼるか降りるかしなければならなかった。それから、脇《わき》へそれる道は無数にあって、――ほんとうに想像もできぬほど、――実に何遍も何遍ももとへ戻って来るものだから、この屋敷全体に関する私たちのいちばん正確な観念も、私たちが無限ということについて考える観念と、さほど大して違わないくらいだった。ここに住んでいた五カ年のあいだ、私は、自分自身と他の十八人か二十人ばかりの生徒とに割当てられた小さな寝室がどんな遠く隔たった場所にあったのか、はっきりと確かめることがどうしてもできなかった。
教場は建物のなかで――いっそ、世界じゅうで、と私は言いたい――いちばん大きかった。それは非常に長くて、狭く、陰気なくらい低く、上の尖《とが》ったゴシック風の窓がついていて、天井は樫《かし》であった。室の端っこの、なんとなく怖いような気のする一つの角に、八フィートか十フィートくらいの四角い囲いがあって、そのなかには、私たちの校長である尊師ブランスビイ博士の「祈祷《きとう》時間中」の聖室《サンクタム》があった。それは堅牢《けんろう》な造りで、がっしりした扉《とびら》がついていて、「先生《ドミイネ》」の留守中にその扉をあけようものなら、私たちはまったくいっそあの peine forte et dure(強い厳しい刑罰(6))で死んだほうがましだと思うくらいの目にあうのだった。他の角にも似たような仕切りが二つあり、実際、前のよりはずっと尊敬されてはいなかったが、それでもやはり非常に畏怖の念を起させるものだった。一つは「古典」の助教師の講壇で、もう一つは「英語および数学」の助教師のであった。室内のあちこちに、際限のない不規則さでごちゃごちゃに入り交って、無数の腰掛けと机とがあった。どれも黒くて、古風で、古ぼけていて、ひどく指垢《ゆびあか》のついた書物がめちゃくちゃに積み重ねてあり、名前の頭文字や、略さないで書いた姓名や、怪異な形の絵や、その他さまざまな小刀《ナイフ》で彫り
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