つけたものなどの、創痕《きずあと》をつけられているので、かつては多少かたちを残していた原形の少しさえすっかり失《な》くなってしまっている。水を入れた大きな桶《おけ》が室の一方の端に立っていたし、もう一方の端には途方もない大きさの柱時計が立っていた。
この古びた学校のがっしりした壁に取りまかれて、私は、それでも退屈もせず厭《いや》にもならず、自分の生涯《しょうがい》の十歳から十五歳までの年月を過したのである。子供の豊かな頭脳というものは、それを満たしたり楽しませたりするにはなにも外界の出来事を必要としない。そして見たところ陰気なくらい単調な学校生活は、私が青年時代に奢侈《しゃし》によって得たよりも、あるいは壮年時代に罪悪によって得たよりも、もっと強烈な刺激に満ちていたのであった。でも、私の最初の心の発達には普通ではないものが――常軌を離れたものさえ――よほどあったということは、信じないわけにはゆかない。一般の人々にとっては、ずっと幼いころの出来事は、大きくなってからはっきりした印象を残していることがめったにないものだ。すべてが灰色の影――かすかな不規則な記憶――あわい快楽と幻のような苦
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