い建物だったろう! ――しかも、私にとってはまったくなんという魔法の宮殿であったろう! その曲りくねりには――そのとても理解できない細かな区分は、ほんとうに果てしもなかった。いつであろうと、いま自分のいるところは一階か二階かということを、確信をもって言うことはむずかしかった。どの室《へや》からでも別の室へ行くには、きっと三段か四段のぼるか降りるかしなければならなかった。それから、脇《わき》へそれる道は無数にあって、――ほんとうに想像もできぬほど、――実に何遍も何遍ももとへ戻って来るものだから、この屋敷全体に関する私たちのいちばん正確な観念も、私たちが無限ということについて考える観念と、さほど大して違わないくらいだった。ここに住んでいた五カ年のあいだ、私は、自分自身と他の十八人か二十人ばかりの生徒とに割当てられた小さな寝室がどんな遠く隔たった場所にあったのか、はっきりと確かめることがどうしてもできなかった。
教場は建物のなかで――いっそ、世界じゅうで、と私は言いたい――いちばん大きかった。それは非常に長くて、狭く、陰気なくらい低く、上の尖《とが》ったゴシック風の窓がついていて、天井は樫《かし》であった。室の端っこの、なんとなく怖いような気のする一つの角に、八フィートか十フィートくらいの四角い囲いがあって、そのなかには、私たちの校長である尊師ブランスビイ博士の「祈祷《きとう》時間中」の聖室《サンクタム》があった。それは堅牢《けんろう》な造りで、がっしりした扉《とびら》がついていて、「先生《ドミイネ》」の留守中にその扉をあけようものなら、私たちはまったくいっそあの peine forte et dure(強い厳しい刑罰(6))で死んだほうがましだと思うくらいの目にあうのだった。他の角にも似たような仕切りが二つあり、実際、前のよりはずっと尊敬されてはいなかったが、それでもやはり非常に畏怖の念を起させるものだった。一つは「古典」の助教師の講壇で、もう一つは「英語および数学」の助教師のであった。室内のあちこちに、際限のない不規則さでごちゃごちゃに入り交って、無数の腰掛けと机とがあった。どれも黒くて、古風で、古ぼけていて、ひどく指垢《ゆびあか》のついた書物がめちゃくちゃに積み重ねてあり、名前の頭文字や、略さないで書いた姓名や、怪異な形の絵や、その他さまざまな小刀《ナイフ》で彫りつけたものなどの、創痕《きずあと》をつけられているので、かつては多少かたちを残していた原形の少しさえすっかり失《な》くなってしまっている。水を入れた大きな桶《おけ》が室の一方の端に立っていたし、もう一方の端には途方もない大きさの柱時計が立っていた。
この古びた学校のがっしりした壁に取りまかれて、私は、それでも退屈もせず厭《いや》にもならず、自分の生涯《しょうがい》の十歳から十五歳までの年月を過したのである。子供の豊かな頭脳というものは、それを満たしたり楽しませたりするにはなにも外界の出来事を必要としない。そして見たところ陰気なくらい単調な学校生活は、私が青年時代に奢侈《しゃし》によって得たよりも、あるいは壮年時代に罪悪によって得たよりも、もっと強烈な刺激に満ちていたのであった。でも、私の最初の心の発達には普通ではないものが――常軌を離れたものさえ――よほどあったということは、信じないわけにはゆかない。一般の人々にとっては、ずっと幼いころの出来事は、大きくなってからはっきりした印象を残していることがめったにないものだ。すべてが灰色の影――かすかな不規則な記憶――あわい快楽と幻のような苦痛とのおぼろげな寄せあつめ――である。私にはそうではない。子供のころ、私は、いまもなおカルタゴの賞牌《メダル》の銘のようにありありした、深い、長もちする線で記憶に刻みこまれているところのものを、大人のような力をもって感じたのにちがいないのだ。
と言っても、事実は――世間の目から見れば――そこには思い出すことはなんと少ししかなかったことだろう! 朝の目覚めや、夜ごとの就寝命令、復習や、暗誦《あんしょう》、定期的な半休や、散歩、運動場での喧嘩《けんか》や、遊戯や、悪企《わるだく》み、――こんな事がらが、長いあいだ忘れられていた心の妖術《ようじゅつ》によって、あまたの感覚、かずかずの豊富な出来事、さまざまな悲喜哀楽の感情、もっとも熱情的な感動的な興奮などを味わわせてくれたのだ。“〔Oh, le bon temps, que ce sie`cle de fer!〕”(おお、この草昧《そうまい》の時代の、楽しかりしころよ!)
実際、私の熱情的な、熱狂的なまた横柄《おうへい》な気性は、間もなく自分を学友たちのなかでのきわだった人物にさせ、また少しずつ、しかし自然な順序を踏んで、自分よりはさほど
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