に列を組んで行くときであった。その教会は、私たちの学校の校長が牧師なのであった。この校長が厳かな、ゆっくりした足どりで説教壇へ上がってゆくのを、私はいつも、廻廊《かいろう》にある遠く離れた私たちの座席から、どんなに深い驚きといぶかしさで眺《なが》めたことであろう! あんなにしかつめらしく温和な顔をして、あんなにつやつやした、あんなに僧侶《そうりょ》らしくひらひらした衣服を着て、あんなに念入りに髪粉をつけた、あんなにいかめしい、あんなに大きな仮髪《かつら》をつけたこの尊い人が、――この人が、ついさっきまで、苦虫をかみつぶしたような顔つきで、嗅煙草《かぎたばこ》でよごれた着物を着て、木箆《きべら》(5)を手にしながら学校の峻厳《しゅんげん》な法則を執行していた人なのであろうか? おお、あまりに奇怪でどうしてもわからない大きな不思議!
その重々しい塀の一つの角に、もっと重々しい一つの門が厳然として立っていた。それは鉄の螺釘《ねじくぎ》を方々に打ちつけて、上にはぎざぎざの鉄の忍返《しのびがえ》しを打ってあった。なんという深い畏怖《いふ》の感じを、それは起させたことであろう!
その門は、さきに述べたあの三回の定期の出入りのときのほかには、決して開かれることがなかった。そして開かれるときには、その巨大な蝶番《ちょうつがい》がぎいっと軋《きし》るたびごとに、私たちはその音のなかに、かずかずの神秘を――厳かな注意や、あるいはもっと厳かな瞑想《めいそう》をそそる多くの事がらを――見出《みいだ》したのであった。
広い構内は形が不規則で、大きなひっこんだ所がたくさんあった。そのなかのいちばん大きな三つ四つのが運動場になっていた。そこは平らかで、細かい堅い砂利を敷いてあった。そこには樹《き》もなければ、腰掛け《ベンチ》もなく、それに類したものがなにもなかったことを、私はよく覚えている。むろんその運動場は家の背後《うしろ》にあったのだ。前面には、黄楊《つげ》やその他の灌木類を植えた小さな花壇があった。しかし、この神聖な区画は、私たちは実際ほんのたまにしか通ったことがなかった。――たとえば、初めて学校へ上がったときとか、最後にそこを去るときとか、あるいはたぶん、親か知人かが迎えにきて、クリスマスや夏休みにいそいそと家へ帰るときとかだった。
だが、その校舎たるや! ――なんという奇妙な古
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