、したがってもっと幸福な人間になっていたかもしれない、ということである。
 しかしその時はそうではなかった。だから、私はとうとう彼の不愉快な監督にすっかり憤慨してしまい、私には我慢ならないその傲慢《ごうまん》さを、日ごとにますます公然と憎むようになった。前にも言ったように、二人が学友関係になった最初の一、二年は、彼にたいする私の感情は、たやすく友情にまでなっていったかもしれなかった。が、学校生活の終りごろになると、彼の普通の出しゃばりはたしかにいくらか減ってはいたけれど、私の気持は、それとほとんど同じくらいの割合で、非常に積極的な憎悪を持つようになった。あるとき彼はこのことを知ったらしく、それからあとは私を避けた。あるいは避けるようなふうをしてみせた。
 もし自分の記憶が誤っていないなら、大体それと同じころのこと、私は彼と猛烈な争論をしたのであったが、そのとき、彼はいつもよりはずっと警戒の念をすてて、彼としては珍しくあけっ放しな挙動でしゃべったり振舞ったりしたが、その彼の口調や、態度や、全体の様子のなかに、私は最初は自分をぎょっとさせ、それから次には自分に深い興味を与えたあるものを、発見した。あるいは発見したような気がした。というのは、自分のごく幼いころのおぼろげな幻影――記憶力そのものがまだ生れないころの奇怪な、混乱した、雑然と群がってくる記憶――が自分の心に思い浮んだからなのだ。私は、自分の前に立っているものとは自分はよほどずっと以前のある時期――無限にとさえ言っていいくらい遥《はる》かな過去のあるとき――から知り合っているのだという信念を、なかなか払い落すことができなかった、というより以上に、そのとき自分を襲った気持をうまく書きしるすことはできない。しかし、この妄想《もうそう》は浮ぶとすぐさっさと消え去った。そして私は、ただ自分がその不思議な同名者とそこで最後の会話をした日のことを言うだけのために、このことを述べるのである。
 数えきれないほどの区画のあるその大きい古い家には、互いに通じている大きな部屋がいくつかあって、そこに学生の大部分が寝ていたのだった。しかし、(そのように不器用に設計された建物にはどうしても当然あることだが、)建物の余ったところや端っこの、小さな隅《すみ》あるいは凹《へこ》んだところが、たくさんあって、それもまた、ブランスビイ博士の経済的
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