襲いぬ、
(悲しきかな、彼が上に暁は
 ふたたび明くることあらじ、ああ!)
かくて、かつては彼の住居《すまい》をめぐりて
 輝き栄えし栄光も、
埋もれはてし遠き世の
 おぼろなる昔語りとなりにけり。

      六

かくて今この渓谷を旅ゆく人々は
 赤く輝く窓より見るなり、
調べみだれたる楽の音につれ
 大いなる物影《ものかげ》の狂い動けるを。
また蒼白き扉くぐりて
 魔の河の速き流れのごとく
恐ろしき一群|永遠《とわ》に走り出《い》で、
 高笑いす、――されどもはや微笑《ほほえ》まず。
[#ここで字下げ終わり]

 この譚詩《バラッド》から生じたさまざまの暗示が私を一連の考えに導き、そのなかでアッシャーの一つの意見を明らかにすることができたことを、私はよく覚えている。その意見をここに述べるのは、それが新奇なため(他の人々はそう考えている)よりも、彼が執拗《しつよう》にそれを固持したためである。その意見というのは大体において、すべての植物が知覚力を有するということであった。しかし彼の混乱した空想のなかでこの考えはさらに大胆な性質のものとなり、ある条件のもとでは無機物界にまで及んでい
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