アッシャー家の崩壊
THE FALL OF HOUSE OF USHER
エドガー・アラン・ポー Edgar Allan Poe
佐々木直次郎訳

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)もの憂《う》い

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)古色|蒼然《そうぜん》としていた

[#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定
   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)顳※[#「需+頁」、第3水準1−94−6]《こめかみ》

〔〕:アクセント分解された欧文をかこむ
(例)〔Sito^t〕
アクセント分解についての詳細は下記URLを参照してください
http://aozora.gr.jp/accent_separation.html
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[#地から4字上げ]Son coeur est un luth suspendu;
[#地から4字上げ]〔Sito^t〕 qu'on le touche il 〔re'sonne〕.
[#地から5字上げ]「彼が心は懸《か》かれる琵琶《びわ》にして、
[#地から5字上げ]触るればたちまち鳴りひびく」
[#地から3字上げ]ド・ベランジュ
[#改ページ]


 雲が重苦しく空に低くかかった、もの憂《う》い、暗い、寂寞《せきばく》とした秋の日を一日じゅう、私はただ一人馬にまたがって、妙にもの淋《さび》しい地方を通りすぎて行った。そして黄昏《たそがれ》の影があたりに迫ってくるころ、ようやく憂鬱《ゆううつ》なアッシャー家の見えるところへまで来たのであった。どうしてなのかは知らない――がその建物を最初にちらと見たとたんに、堪えがたい憂愁の情が心にしみわたった。堪えがたい、と私は言う。なぜならその感情は、荒涼とした、あるいはもの凄《すご》い自然のもっとも峻厳《しゅんげん》な姿にたいするときでさえも常に感ずる、あの詩的な、なかば心地よい情趣によって、少しもやわらげられなかったからである。私は眼《め》の前の風景を眺《なが》めた。――ただの家と、その邸内の単純な景色を――荒れはてた壁を――眼のような、ぽかっと開いた窓を――少しばかり生い繁《しげ》った菅草《すげぐさ》を――四、五本の枯れた樹々《きぎ》の白い幹を――眺めた。阿片耽溺者《あへんたんできしゃ》の酔いざめ心地――日常生活への痛ましい推移――夢幻の帳《とばり》のいまわしい落下――といったもののほかにはどんな現世の感覚にもたとえることのできないような、魂のまったくの沈鬱を感じながら。心は氷のように冷たく、うち沈み、いたみ、――どんなに想像力を刺激しても、壮美なものとはなしえない救いがたいもの淋しい思いでいっぱいだった。なんだろう、――私は立ち止って考えた、――アッシャー家を見つめているうちに、このように自分の心をうち沈ませたものはなんだろう? それはまったく解きがたい神秘であった。それからまた私は、もの思いに沈んでいるとき自分に群がりよってくる影のようないろいろの妄想《もうそう》にうち勝つこともできなかった。で、そこにはたしかに、我々をこんなにも感動させる力を持ったまことに単純な自然物象の結合がある[#「ある」に傍点]のだが、その力を分析することは我々の知力ではとてもかなわないのだ、という頼りない結論に落ちるより仕方なかった。また、この景色の個々の事物の、つまりこの画面のこまごましたものの、配置をただ変えるだけで、もの悲しい印象を人に与える力を少なくするか、あるいはきっと、すっかり無くなすのではあるまいか、と私は考えた。そこでこの考えにしたがって、この家のそばに静かな光をたたえている黒い無気味な沼のけわしい崖縁《がけぶち》に馬を近づけ、灰色の菅草や、うす気味のわるい樹の幹や、うつろな眼のような窓などの、水面にうつっている倒影を見下ろした、――が、やはり前よりももっとぞっとして身ぶるいするばかりであった。
 そのくせ、この陰鬱な屋敷に、いま私は二、三週間滞在しようとしているのである。この家の主人、ロデリック・アッシャーは私の少年時代の親友であったが、二人が最後に会ってからもう長い年月がたっていた。ところが最近になって一通の手紙が遠く離れた地方にいる私のもとへとどいて、――彼からの手紙であるが、――それは、ひどくせがむような書きぶりなので、私自身出かけてゆくよりほかに返事のしようのないようなものであった。その筆蹟《ひっせき》は明らかに神経の興奮をあらわしていた。急性の体の疾患のこと――苦しい心の病のこと――彼のもっとも親しい、そして実にただ一人の友である私に会い、その愉快な交遊によって病をいくらかでも軽くしたいという心からの願いのこと――などを、彼はその手紙で語っていた。すべてこれらのこ
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