ら)、というかすかな希望をいだいたのであった。実際、彼が物語の文句に耳を傾けている、あるいは見たところいかにも耳を傾けているらしい、異常に緊張した生き生きした様子で判断することができるのなら、私は自分の計画のうまく当ったことを喜んでもいいわけであった。
 私は、この本の主人公エセルレッドが隠者の住居に穏やかに入ろうとして入れないので、力ずくで入ろうとする、あの有名なところへ読みかかった。ここでは、人の知るとおり、物語の文句は次のようになっている。――

「かくて生れつき心|猛《たけ》くそのうえに飲みたる酒の効き目にていっそう力も強きエセルレッドは、まこと頑《かたく》なにして邪《よこしま》なる隠者との談判を待ちかね、おりから肩に雨の降りかかるを覚えて、嵐の来らんことを恐れ、たちまちその鎚矛《つちぼこ》を振り上げていくたびか打ち叩き、間もなく扉の板張りに、籠手《こて》はめたる手の入るほどの穴をぞ穿《うが》ちける。かくてそこより力をこめて引きたれば、扉は破れ、割れ、微塵《みじん》に砕けて、乾きたる空洞《うつろ》に響く音は、森もとどろにこだませり」

 この文章の終りで私はぎょっとして、しばらくのあいだ言葉を止めた。というわけは、(すぐ自分の興奮した空想にだまされたのだと思いかえしはしたが)屋敷のどこかずっと遠いところから、ラーンスロット卿が詳しく書きしるしたあの破れわれる音の反響(抑えつけられたような鈍いものではあったが)にそっくりな物音が、かすかに私の耳に聞えてきたような気がしたからである。もちろん、ただその偶然の一致ということだけが私の注意をひいたのであった。窓枠《まどわく》のがたがた鳴る音や、なおも吹きつのる嵐のいつもの雑然たる騒がしい音のなかでは、そんな物音はただそれだけでは、もとより私の注意をひいたり、私をおびえさせたりするはずがなかったからである。私は物語を読みつづけた。――

「しかるにすぐれたる戦士エセルレッドは、いまや扉のなかに入り、かの邪《よこしま》なる隠者の影すらも見えざるに怒り、あきれ果てぬ。されど、そのかわりには、鱗《うろこ》生えて巨《おお》いなる姿の一頭の竜《りゅう》、炎の舌を吐きつつ、白銀《しろがね》の床しきたる黄金の宮殿の前にぞ蹲《うずくま》りてまもりける。しかしてその壁には輝ける真鍮《しんちゅう》の楯《たて》かかりて、次のごとき銘しるされたり。――
[#ここから2字下げ]
ここに入る者は勝利者たりしもの。
この竜を殺す者はこの楯を得む。
[#ここで字下げ終わり]
 ここにおいてかエセルレッドは鎚矛を振り上げ、竜の頭上めがけて打ちおろしければ、竜は彼の前にうち倒れ、毒ある息を吐きあげて、恐ろしくもまた鋭き叫び声をあげたるが、その突き刺すばかりの響きには、さすがのエセルレッドも両手もて耳を塞《ふさ》ぎたるほどにて、かかる恐ろしき声はかつて世に聞きたることもなかりき」

 ここでまた私はとつぜん言葉を止めた、今度ははげしい驚きを感じながら。――というのは、この瞬間に、低い、明らかに遠くからの、しかし鋭い、長びいた、まったく異様な、叫ぶようなまたは軋るような音――この物語の作者の書きしるした竜の不思議な叫び声として私がすでに空想で思い浮べていたものとまさしくそっくりな物音――を実際に聞いた(もっともどちらの方向からということは言えなかったが)ことは、なんの疑いもなかったからである。
 この二度目の、しかも異常な暗合に出会って、主に驚きと極度の恐怖との勝《まさ》ったさまざまな矛盾した感情に圧倒されながら、それでもなお私は、なにかそのことを口に出して友の過敏な神経を興奮させることを避けるだけの落着きを失わなかった。彼の挙動にはたしかにこの数分間に奇妙な変化が起っていたけれども、例の物音に気づいているとは思われなかった。彼は私に向きあった位置から、その部屋の扉の方に顔を向けて腰をかけられるように、少しずつ椅子をまわしていた。だから私にはほんの一部分しか彼の顔が見えなかった。ただ聞きとれないほど低く呟いてでもいるように唇《くちびる》が震えているのが見えた。頭は胸のところへうなだれていたが、横顔をちらりと見ると眼は大きくしっかり見開いているので、眠っているのではないことがわかった。体を動かしているということも、眠っているという考えとは相容《あいい》れないものであった。――静かに、しかし絶えず同じ調子で、体を左右にゆすっているのである。すばやくこれだけのことをみんな見てとってから、私はラーンスロット卿の物語を読みつづけたが、それは次のようであった。――

「かくて今や竜の恐ろしき怒りをまぬかれたる戦士は、かの真鍮の楯を思い浮べ、そが上にしるされたる妖術《ようじゅつ》を解かんとて、竜の骸《むくろ》を道より押しのけ、勇を鼓
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