の底からこの男をかわいそうに思った。
「ねえ、君」と、デュパンは親切な調子で言った。「君は必要もないのにびくついているんだ、――まったくさ。僕たちはなにも悪気《わるぎ》があってするのじゃない。僕たちが君になんの危害を加えるつもりもないことを私は紳士としての、またフランス人としての名誉にかけて誓う。君があのモルグ街の凶行について罪のないことは私はよく知っている。しかし、君があれにいくらか関係があるということを否定するのはよくない。いま言ったことから、私がこの事件について知る手段を持っていたことは、君にはわかるはずだ、――君には夢にも思えない手段だがね。いま、問題はこんなことになっているのだ。君は避けうることは何もしなかったし、――またたしかに罪になるようなことは何もしなかった。君は罪にならずに盗めるときに、盗みの罪さえ犯さなかったのだ。君にはなにも隠すことはない。隠す理由もない。一方、君はぜひとも君の知っているだけのことをみんな白状する義務がある。一人の罪のない男がいま牢《ろう》に入れられているのだが、その男に負わされた罪の下手人を君は指し示すことができるのだ」
 デュパンがこう言っているあいだに、水夫はよほど落ちつきを取りもどしてきた。しかし、彼の初めの大胆な態度はもうまるでなくなってしまった。
「じゃあ、ほんとうに」と、しばらくたってから彼は言った。「あの事件についてわたしの知っていることをすっかりお話ししましょう[#「しましょう」に傍点]。――だが、わたしの言うことの半分でもあんたが信じてくださろうとは思いません。――そんなことを思うなら、それこそわたしは馬鹿です。でも、わたしには罪はないのです[#「のです」に傍点]。だから、殺されたっていいから、残らずうち明けましょう」
 この男の述べたことは大体こうであった。彼は近ごろインド群島へ航海してきた。彼の加わっていた一行が、ボルネオに上陸し、奥地の方へ遊びの旅行で入って行った。そのとき、彼と一人の仲間とが猩々を捕えたのだ。この仲間の男が死んだので、その動物は彼一人のものになった。そいつの手に負えない獰猛《どうもう》さのために、帰りの航海のあいだじゅう彼はずいぶん困ったが、とうとうパリの自分の家に無事に入れてしまうことができた。そして近所の人々が自分に不愉快な好奇心を向けないように、猩々が船中で、木片で傷つけた足の傷
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