たた》りがあるって、皆恐ろしがっています。……あさどりって、小さい紫色をした蝶々ですよ。それがまっ黒にかたまって、山の方から高いところを飛んで行くのです。私も一度見たことがありますがね。朝早く晴れた空の方を、まるで雲が通って行くようにかたまりになって行くのは、ほんとうに不思議ですよ。」
 荻原はもうすっかり興に乗ってしまって止めどなくひとりで話しつづける。
「その山にも面白い話があるのです。その三つの山っていうのは大昔三人の姉妹《あねいもうと》だったのだと言います。一番の姉は一番いじ悪るで、未のが一番おとなしかったのです。そこで母《おっか》さんの神様が、皆でそのA山を欲しがっているから、どうかしてその末の妹にやりたいと思って、三人に、今夜お前達が寝ているうちに、箭《や》を射るから、誰れでも自分の枕元に箭の立っていたものが、A山の持主になるがいいと言って、三人の寝ている間に、そっと来て、末の妹の枕元に箭を立てて行ったのです。すると上の姉が夜中に眼をさまして、自分のところになかったので、ひどく悔しがって、こっそり妹の枕元から、持って来て自分のところに置いて知らん顔をしていました。
 夜があけて、三人は起きて見ると、箭は姉のところにあったので、末の妹はひどく泣いたのですが、仕方なしにC山に、中のがB山に別れて行ってしまったのだと言っています。
 それでそのA山は一番高い凄い山ですがね、今でも恐ろしい話がたくさんあるのです。私の国では夏の末ごろにそこに菌《きのこ》を採りに行ます。そしてよく山に小屋掛けをして、そこに寝ると、夜中にきっと、怪しいことがあるのですね。時はきまっていますが、真夜中になると、山の中が、ぽーッと、まるで月でも出たように、どこからか薄明りがさして来て、そこらが青みがかって見える。と思うと、谷を隔てた遠くの方で、澄んだ女の声で、さもねむくなるような調子で、歌を唄い始めるのです。それに聞きとれていると、突然そこらで、ぎゃあーっ[#「ぎゃあーっ」に傍点]と女のけたたましい声がして、その薄明りがばったりと又もとの暗になってしまうのです。……私の村のものなどは、大抵[#「大抵」は底本では「大低」]こんな目に逢っています。」

 荻原の目に、陰鬱な火のような表情があらわれた。心が燃えて、烈しく慄えるようすが見える。その話もごつごつしていながら、そのうちに自ずから抑揚の調子が出て来て、人を魅する力がこもっている。彼は感情の高まった声をして、
「その山では、私の家によく来る隣村の猟師がこんな目に逢ったこともありますよ。夜待《よまち》と言って、夜中、山に籠って猪を撃つことがありますが、それに行っていると、もう夜明けに近いと思うころに、山の頂上《いただき》の方で、
 あ痛あッ! という声が一声聞えたそうです。それが家にいる老母の声だったので、留守に何か悪いことがなければいいがと思って。夜が明けるとすぐ大急ぎをして帰って来て見ると、家では梁《はり》にさげてあった鉈《なた》が落ちて、その母《おっか》さんが死んでいたそうです。それが丁度その声の聞こえた頃だったとか言うので、その男は猟師を止めてしまいました。」
「それからまだこんな話もあります。」と言うので、荻原は思い出しては、追っかけ追っかけ自分でも夢中になって話しつづける。
 それで思わず夜が更けてしまった。私もつり込まれて聞いていたが、ふっと気がつくと、下ではもう寝静まっている。雨はまだやまないと見えて、ざあざあ、まっすぐに烈しい音をさせて降っている。
 私が不意に、外の音を聞くような顔をすると、荻原は話しかけた話をぱったり止してしまって、不思議そうに、
「何ですか?」
 と聞く。
「いいえ、何でもないが、雨の音がひどいですね。」
 と言うと、これもにわかに気がついたように外の音を聞く。すると、急に襟元が寒いような風をして、ちらとおびえた顔付きをすると、
「私だって変なものを見たことがあります。」
 とおぼえず口走ったが、あとから、妙に疑り深い目をして、私を覗うように見る。……そのくせ、私が気の付かない顔をすると、また興に乗って来て、その話をしゃべってしまった。しかもその人にとって、大した秘密の籠っている話でもなかった。

     二

 その晩、とうとう話しくたびれて、荻原が二階を降りたのは、かれこれ朝の二時ごろであったろう。別に用らしい話は少しもなかったところを見ると、このような性質の人で、話相手が欲しかったのかもしれない。私は寝床の中に入ってからも、不思議な感情を持っている男だと思った。
 次の朝起きると、はたして、私と同じくらいまで寝ていたと見えて、洗面場でぱったり出くわした。荻原は私の顔を見ると、にやりとしたが、私が、
「や、昨晩は。」
 と言うと、何かきまりが悪そうな、眼
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