介になります。」と、自分は窮屈なズボンの膝を折って、そこへ手をついた。汗でからだがニチャ、ニチャするのが気になる。
「……」と、その老女も何か言ったが、自分にはその言葉の意味が分らなかった。それで、工合いの悪い顔をして、その人の顔を見ると、むこうでも、何かふに落ちぬようで自分の顔を見た。
 自分はまた言葉がよく通じない、と思って、口を噤《つぐ》んだ。そして、その儘立って、カバンから着物を出した。
 こんどの旅では、花巻に泊った晩から、幾度も、この言葉が通じないので困らされた。
 着物を着換えてしまって、S君と向い合って炬燵にはいった。次第に落ちついてくると、何と言いようのない夜更けのしずけさが感じられる。室の中が見廻わされる。寒さが襟元からひしひしと沁み込んでくる。
 広い室に、小さいランプがともされているので、すみずみが薄暗い。障子も、柱も黒く、天井がばかに高い。寺の中にでもはいったような心持ちがする。
 炬燵の傍には古風な棚が置いてある。それに四五冊、S君の手馴れた本が立ててあった。その傍に自分に当てて来た、手紙や雑誌も十五六置いてあった。自分が、所々《しょしょ》を歩るいて[#「歩るいて」はママ]いるうちに、この三月も半ば経《た》ってしまったが。
 さて、いよいよここに着いて見ると、種々の人から自分に宛てた手紙が今更たくさんたまっていた。
 自分はそれを貪《むさぼ》るようにして読んだ。自分はこの半月、まったくその前の生活と関係の絶えた時を過ごした。そしていままた、その前に帰り接したような心持ちになった。こうなって見ると、すべてに向って一種変った心持ちが起こる。今までその中にはいっていた社会を遠くから眺めるような心持ちだ。

     二

 前夜の夜更しのために、目が覚めたのは十二時近くであった。
 目を覚して外に出ると、空はよく晴れていた。昨夜歩きながら道の行手に黒い山がしだいに迫ってくるように見えたのは、いま見ると、村が緩《ゆる》く上りになって、山に続いているのだった。縁に立って見ると、正面に小さい山が幾つも重なっている奥に、まるい、落葉した木立ちが立ち続いた大きい山の頭が見える。どこを見ても雪が一帯に積っている。日の光がそれに当って、キラキラと光る。自分は庭から外に出た。日は高く頭の上にあった。
 雪の上をそっと歩いて――広い畑の中に立った。昨夜歩いて来た
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