取り交ぜて
水野葉舟

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【テキスト中に現れる記号について】

《》:ルビ
(例)高橋五郎《たかはしごろう》

|:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号
(例)三四日|経《た》って

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   (数字は、JIS X 0213の面区点番号、または底本のページと行数)
(例)※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]
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 高橋五郎《たかはしごろう》氏に聴いた話である。同氏の親戚の某氏が、或る晩に甥の某氏と同じ部屋に寝た。その時分に親戚に病人が有った。その病人がその晩に、夢に某氏を尋ねて来て、快談《かいだん》して帰った。翌朝眼が醒めたから、某氏は甥の某氏にその夢の話をした。すると甥もそれと同じ夢を見たと云った。
 病人は、それから三四日|経《た》って死んだ。通夜の晩に、その病人を看護した看護婦がまた不思議な夢を見たことを話した。丁度《ちょうど》某氏|等《ら》が同じ夢を見た晩と同じ晩の同じ時刻に、その病人が『今、自分は、色んな人に逢《あっ》て、色んな愉快な話をして来たので、宜《い》い心持《こころもち》になった』と言った夢を見た。

     ○

 足、その地を踏んだでもなく。画《え》でその地の景色を見たでも何でも無いのに、始終、夢に或《ある》地の景色を見る。一日《いちじつ》、不図《ふと》或る道へ出た。するとその道は夢に、その或る景色を見に行く道に寸分|違《たが》わぬ。あまりの不思議さにその道を辿って行《いっ》たら、果然、夢に見馴れた景色のその土地に到着した。これは自分の友人が親しく実見《じっけん》した奇話である。
 弘治《こうじ》二年に戦没した先祖の墓は幾百年の星霜《せいそう》を経《へ》て、その所在地は知られなかった。すると或る晩に、その墓は五輪の塔で、こういう木の下に埋《うず》まっていると夢に見たので、その翌日|檀那寺《だんなでら》へ行って、夢に見た通り探《さ》がすと果《はた》して見付《めっか》った。これも友人が最近に見た正夢《まさゆめ》である。

     ○

 十時頃にならねば眼が醒めぬという朝寝坊の友人が実見《じっけん》した事柄である。眼の醒める時分に眼を醒ますと、いつでも床《とこ》の間《ま》に若い女の顔が見える。しばらくして始めて消える。しかもその顔は、曾《かつ》て一度も見たことのない顔である。また、これとは変《かわ》って、毎晩、恐ろしい男の顔を見る友人があった。その友人は、遂《つい》に辛棒《しんぼう》仕切れなくなって、夜になると、友人の下宿へ行って寝た。

     ○

 鹿児島の高等学校に行っておる自分の従弟が先日来ての話である。
 夜中にその室の襖が開く、そうすると次の室が見え透く。不思議に思って翌朝その事を次の室の友人に話すと、那※[#「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2−94−57]《そんな》ことは知らぬという。その翌晩には友人がその室に寝たら、矢張《やはり》前夜の通り、襖が開いてその次の室が見え透いた。そこで、その翌晩は二人がその室に寝たら、一人は矢張《やはり》前晩の通り見たが、一人は非常に魘《うな》された。

     ○

 熊谷《くまがい》のさる豪農に某という息子があったが、医者になりたいという志願であったから、鴻《こう》の巣《す》の某家に養子に与《や》った。医師の免状も取って、業《ぎょう》も開き、年頃の娘を持つくらいの年になってから、重症に罹《かか》って、永《ながら》く病床に呻吟《しんぎん》した。
 その養父というのが、仲々《なかなか》の飲酒家《のんだくれ》で、固《もと》より資産の有る方ではないから、始終家産は左向《ひだりむき》であった。熊谷ではもしも養父が亡くなったら、相当な資産は与《や》るといっていた。某もそれを楽《たのし》みにしていたのである。
 或る日のこと、熊谷の家、鴻の巣で寝ている筈《はず》の某が訪ねて来た。女の衣服《きもの》の上へ法衣《ころも》を被《き》ていた。まことに異装であった。でも別に訝《いぶ》かることもなく、色々と話を交《まじ》えた。それから、先《ま》ず寝転んで休むが宜《い》いと隣の間《ま》へ導いて、二度目に行ったら最早《もう》見えなかった。で、聞き合わせてみようと思っていると死去の電報が来た。なお通夜の晩の話を聞いてみると、某は、生前懇意にしていた尼僧の許《もと》へも行っていた。時刻は、熊谷の実家を訪《と》うたのより、少し前であった。尼僧に御無沙汰挨拶をして、それから、法衣《ころも》を借してくれと云った。尼僧も別に怪しいと思わず貸して与《や》ったら、女衣服《おんなぎ》の上にそれを着て出て行った。少し時間を経《へ》た時分に、用事を済ませて来た、ありがとうとその法衣《ころも》を返したから、尼僧はそれを床《とこ》の間《ま》においた。死去の電報を手にした時に、法衣《ころも》はと見たら、矢張《やはり》返された時のままに床《とこ》に置いてあった。
 女衣服《おんなぎ》を着せたのは、永《なが》の病気に、重きは堪《た》えられまじ、少しでも軽くしてやろうと、偶然にもその日それを着せたのである。この話は死んだ某氏の娘が親《したし》く話したのを聞いた人から自分が聞いたのである。

     ○

 これは学友某の実見《じっけん》である。夜中になると戸棚から、今まで見た事もない素敵な美人が出て来て、辰雄《たつお》さん、此方《こちら》へ光来《いらっしゃ》いなと無理に誘い出す。翌朝になると、屹度《きっと》蚊帳《かや》の外へ半身を出している。しかもその友は辰雄という名ではないのである。



底本:「文豪怪談傑作選・特別篇 百物語怪談会」ちくま文庫、筑摩書房
   2007(平成19)年7月10日第1刷発行
底本の親本:「新小説 明治四十四年十二月号」春陽堂
   1911(明治44)年12月
初出:「新小説 明治四十四年十二月号」春陽堂
   1911(明治44)年12月
入力:門田裕志
校正:noriko saito
2008年9月25日作成
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終わり
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