を向けると、机の上に置いた煙草の箱を取って、中から一本摘んだ。その時に、
「で、吉井さんですがな。」と、その男が言う。
「ふん。いるだろうね。」
「いや。一昨日この先のS村の某《それがし》と言う家に出て、留守だそうです。」
「留守?」
 自分は、この男の言葉つきが、何となくうそを言っているように思えるので、わざと強く反問した。
「へえ、留守だそうです。」と、「留守」を繰り返えした。
「困ったな。そのS村と言うのまでは使いをやれないかしら?」と、聞くと、
「使いはありません。」と、捨てたようにその男は首を振った。自分はむっとした。
「困るじゃないか。道でも悪いのか。」
「道も悪うござんす。まだ雪が解けないから、誰も行きません。」
「じゃ、馬にでも乗って行ってくれたらいいじゃないか?。」
「さ、それはあるかもしれませんな。けれど高いことを言いますぜ。」
「高いって、使い賃がか? それは仕方がない。とにかく、行ってくれる者をさがしてくれ。」
「へへ。」と、癖のようにちょっと頭を下げたが、黙って、自分の巻煙草の箱から一本つまみ出して、それに火をつけた。
 自分はじっとその無作法な男のするさまを見ていた。
 自分はこの山間の町に不意に来て、従兄を驚かそうと思っていたのだが、かえって行き違いになった。そのために今日一日は茫然として暮さねばならぬ、と思っているとその男が室の入口から首を出して「使いがありました。じゃすぐやりましょう?」と言って、出て行った。と、入れ違いに、下女が来て、
「いま、使いとおっしゃいましたが、ちょうど、中学の先生様がお通りになって、吉井さんは今日きっと帰えっておいでる筈だそうですから……と言っていらっしゃいましたが。」と言う。
「そうか?…では、使いには及ばないね。」と言うと、自分はかすかだが、いまの男に勝ったような心持ちがした。下女はうなずいて出て行った。
 と、また入れ違いにその男がはいって来て、キョト、キョト自分の顔を見ながら、
「使いはようござんすか。」と言う。自分はますますその男の裏を掻いたような気がして、素気なく、
「吉井は今日帰えってくるそうだから、もういいわ。」と断ってやった。

 それで、今日一日は、ここにいるつもりにしたので、せめて、従兄の下宿しておる家でも見てこようと思って外に出た。腹を一杯に見せて町の真東に、まるい大きい山が聳えている。と、言うよりも、この町はその裾に小さく一かたまりになって家が建っているようだ。
 町幅は広く、町は一直線に東の山の方に突きあたって北にまがっている。昨夜、乗って来たと同じ馬車が馬をはずして、薄暗い軒の深い家の軒前《のきさき》に置いてある。寒い国の習いで、家の軒が深く、陰気なしん[#「しん」に傍点]とした町だ。自分はそのなかを歩いて、二三軒の小間物店らしいところに寄って、この町近傍の景色をうつした絵葉書をさがした。
 けれど、そんなものは一枚もなく、かえって東京で出来た、西洋の名画を複写した絵葉書などがあった。
 かと思うと、二三年前に東京であった博覧会の錦絵などもある。かすかに賑やかな東京の呼吸がこの錦絵に通っているようだ。
 自分は一順町をまわって異様な感じがした。教えられた従兄の下宿を捜して、置き手紙をして帰えって来た。

     三

 つぎの朝までも従兄は帰えらなかった。自分はつくづく前から知らせなかったのを悔いて、また使いを立てようかと思い迷った。
 ところへ、その男が入って来た。
「どうします。」と、いきなり言った。
「さ、」と答えたが、自分は不快で堪らなかったから、知らぬ顔をしてやった。と、また黙って、まじまじ人の顔を見ていたが、やがて、急き立てるように、
「使いを出すなら、早く出しませんと、人がいなくなります。」と言う。
「よそう!」自分は言い切った。
「よしますか?」と、その男は自分の心持ちを覗おうとするように言った。
 自分は堅く口をつぐんだ。そして心には充ち充ちた不愉快が、自然と人に逢えぬと言ううら悲しい心持ちに変わって行くのを覚えた。
 で、無聊な、不愉快なその日も暮れた。

     四

 三日目の朝、自分は起きて、顔を洗って室に入ってくると、平生のように髪を分けた。で、今日も油を頭につけたが、あとで、ふと、その壜を取って見ると、油が非常に少くなっていた。
「しまった。これは余程、倹約して使っても途中で足りなくなるぞ。困ったな。頭をぼうぼうさせて東京に帰るのか。」と思った。これから途中では、ちょっとこの油を買うことができないらしく思われると、しばらく、自分の非常に心持ちよく思っている楽しみに遠ざからねばならぬと考えた。
 で、何となく物足りなく思っていると、さっと唐紙を開けて従兄が入って来た。
「何だ、作さん本当に来てたのか?」と
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