。雪の中に細い道が一条、人がね、踏んで行った跡があるっきりさ。僕はそこに立って、しみじみと泣きたくなった。母のことを思ったり、家のことを思ったりすると、胸がいっぱいになって来て、もうたまらなくなった。いっそ引き返そう。引き返して、母に詫びてこようかと思ったがね。それでもいろいろのことを思いながら、とうとうここまで来てしまった。」私は黙ってそれを聞いた。心にはその雪の中の細い道が浮んでいた。
S君の涙は、私にはよく感じられた。S君が家を出る時に、曇った顔が涙になったのだ。しかし、私達はこう話し合いながら今はただ前途を――東京を――思わずにはいられなんだ。
それで、二人はここでひとまず又別れ、S君は馬車に乗ってH町の方に行くこととなった。
しばらくすると二人は互いに、
「ではH町で。」と言い合って、S君は二階を下り、馬車に乗った。そのあと、私はただ一人ぼんやりと炬燵に当りながら、いつくるか知れぬH町の馬車を待っていた。やがて、昨夜の睡眠不足と、今朝から馬車に揺られたのとで、つい眠り入ってしまった。
底本:「遠野へ」葉舟会
1987(昭和62)年4月25日発行
入力:林 幸
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