腹を割いて臓腑を引き出してみた。
 そこを通りかかった男が、立ち止って、
「兎だな。」と言って、両手をうしろに廻わしながら、じっと見ていた。髭の男は振り返ってちょっと笑って、
「今日、踴鹿野《おどりかの》で捕った。」と言いながら頭まで剥いでしまった。
 私は、その男の油ぎった顔と、厚い唇とを一心に見ていた。その時、
「や。」と、S君に呼ばれて、目を転じたが、町はさらに薄暗くなっていた。
 郵便局の前を通りがけに、東京に宛てて、着く日を知らせた電報を打った。そして幅の広い一条町《ひとすじまち》を西にまがって、着いた晩に泊った高善と云ふ宿屋に腰を下ろした。室に通ると、もう灯がついた。
 湯にはいって落ちつくと、まず私はこの町で新しく知り合いになった、I君に手紙を書いた。I君は私とは同じ時代に同じ学校にいて、中途でよして帰って来た人である。また、しばらく逢う事ができまいから、ここで知り合いになったいろいろな人と集まろうと思った。そのうちには小説を書くM君という青年もいる。
 I君はすぐ来た。私はその相談をすると、その夜、町の小さな料理屋へ案内されて、穴のような天井の低い二階に通された。唐紙も、障子も、壁もくすぶっていた。
 古びてよごれた台の上に二三種の食物がならべられた。その周囲を取りまいて私達は坐った。
 I君は私を見てこう言った。
「私も東京に行きたいんですが、どうも一度田舎に引き込むと駄目ですな。」
「そうでしょうか、たまには差し繰って出ていらっしゃい。お互いに旅行をすると心持ちが広くなるし、かえって仕事が面白くなりますよ。気が新しくなるんですね。」
「そうですな。」
「…………」私は更にM君に向っても、一度は東京に来て見ないかと言った。そして、ふと心づくとM君の心が、このなんでもない私の言葉で強く刺激されているのを感じた。それよりも私がこの人達とこうして、顔を見合わしているのですら、この人々に東京の刺激を与えるのを見た。
 この人々にとって東京は、華《はな》やかな太陽だ。

 酒はにがかったが、私達はすっかり酔った。その家を出た時には、もうすっかり夜が更けていた。この山間の町は、黒く眠っている。その中を凍ったような風が吹いていた。

     四

 三月三十一日。
 わずかにとろっとしたと思うと起こされた。もう夜が明けている。頭を上げたが睡眠が不足なので瞼がはれたように重い。顔がさぞ黄ばんでいることだろう。
 起き上ろうとすると、S君が待ちかねたように、
「君、馬車が駄目だそうだ。」と言う。
「駄目とは?」私は起き返ったまま、なんとも見当がつかぬので、下からS君の顔を見上げた。昨夜の酒の酔いが頭の奥にまだ残っているようで、身体がふらふらする。
「今ね、宿のものが来て、今日は又どうしたのか、客が非常に多いので、普通の二台には乗りきれないそうだ。」
「で、どうするの?」私はからだが倦《ものう》くってたまらぬので、どうでもなれとおもって言った。
「僕は歩くから、君は明日の朝まで泊っておいでなさい。」
「なぜ? そしてH町で待ってるって言うのかい。」
「ええ。」
「なぜ? それはいやじゃないか、君も泊りたまえ。」
「僕はここから一刻も早く落ちたい。一刻も早く家から離れたところに行きたい。」と言って悲しい目をして私をじっと見た。私はS君の心持ちを察することが出来た。S君は東京にS君だけとしての希望を持っている。そして昨日までいた家には、家としての仕事も、一人で寂しく残っている、母もある。S君は東京にあるその希望を追うために、自分の家や、母の有様を見ると、脊に負い切れぬような苦痛を感ずる。……今、S君はこの苦痛に追われているのだ。
「じゃ、一つ、もいちど聞こう。」と言って手を拍った。宿の者に聞くと非常に人が多いので、今日は昨夜から申込まれた人だけしか乗せぬと言う。私はそれに、もいちど二人だけ乗せてくれるように尽力してくれと言って頼んだ。すると、S君が突然、
「君一人乗りたまえ。私は歩きます。」
「なぜ?」
「その方が都合がいい。私は馬車が嫌いだから、歩いた方がいいのです。車が行けば乗るけれども、非常に高いそうだから。」と言う。
 それで、私一人乗ることに尽力してもらった。しばらくすると、
「それではお一人だけです。昨晩、私共にお泊りでした、判事さんのお連れっていう事にして、やっと承知させました。」と、番頭はしきりに手柄顔に言う。
 で、いよいよここを発つこととなった。

 九時頃に馬車が来た、というので二階を降りた。宿屋の門に出ていると、東の方からI君がこようとするところだった。M君もちょうど来た。そのほかにも二人ばかりの人が来た。私はこの人達に、心残りがするようで、なにか互いに言うべきことがたくさんあるように思った。が、なんにも言
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