、目で立とうと言った。S君は寂しそうに曇った顔をしながら、
「じゃ行こう。」と言って立ちかけた。
「もう、お立ちになるか。」と、阿母さんはそわそわして立った。
道に出て私達は再び別れの言葉を交わした。
ところどころに黒い土が見えていても、そこらはまた[#「また」はママ]雪が一帯に置いている。その中を足早に歩いた。今夜はT町に泊って、次の朝早く馬車に乗るつもりである。
一町ばかり行って、私はふと振り返った。S君の阿母さんが、家の垣のはずれに立って、私達を見送っている。
「オイ、阿母さんが立って見送ってるよ。」と、私が言うと、S君は振り返りもせずに、
「そんなこと、見ないでくれたまえ。」と、強く首を振った。私はS君の気がやるせないように、苛立っているのに驚いた。チラと顔を見ると、曇った顔が、涙ぐんでいた。二人とも黙って道を急いだ。
S君は銘仙の着物と羽織を着て、中折をかぶっている。着物の裾を端折《はしお》って、下駄穿きでいる。私は洋服を着て、大きいウルスターを着ている。この二人づれの様子が非常に妙に見えたらしく、道で会った人がみな不思議そうに見返った。
三
T町にはいったのは黄昏ごろだった。
T村から、この町までは三里ある。その三里のあいだ、雪解けの泥濘道《ぬかりみち》を歩いたので、私はからだが疲れた。道の雪は思ったより消えていた。
S君の顔の曇りは、この数時間の間にも晴々とならなかった。
町の入口のところで、S君はちょっとと言って、私を待たせて、あるうちの門に立った。私は道端に立って、S君を待ちながら、町を眺めていた。私の立っているところは、この町から、T村の方に行く道と、有名な某峠を越してK港へ行く道との分かれるところだ。
町の両側には三尺ばかりの幅の水が流れている。町は薄黒く、寒そうだ。その中を子供たちが群れて遊んでいる。私は親しみのない顔をしながら、その子供たちを見ていた。
ふと、振り返ってS君の方を見ようとすると、目の前の軒のところに白い兎を逆さに下げて、一人の男が皮を剥いでいるのが目にはいった。
目のギョロッとした、頬も腮《あご》もまるい、毛深く口の周囲にいっぱい髭の生えている男が、小刀を持って、兎の皮を剥いでいる。黒く燻ぶった軒に白い耳の短かい兎は、片足をくくって下げられていた。見る間にくるくると皮がむけた。男は手もなく
前へ
次へ
全14ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
水野 葉舟 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング