ものを言う人もなかった車の中で誰かが言った。
 雪がしだいに降りしきって来た。私達が急いで垂幕を下した狭い車の中が俄かに呼吸がつまるようだ。
「これじゃ、盛岡からの役者も明日はどうかな。」と老人の顔を見て、商人体の男が言った。
 私は折ふし、垂幕を上げて見た。あとからくる荷馬の顔に雪がしとしとと降りかかって、冷たそうに濡れていた。
 車の中では老人と商人体の男とのあいだにこんどくる歌舞伎芝居の噂がはじまった。盛岡での人気や、役者の技量などについてしきりと話し合っていたが、しまいに老人が「遠野のものは一体に芝居好きだもの……」と言った。この言葉が私には妙に心に止った。芝居好きな町……。
 雪がまた止んだ。私は急いで垂幕を上げた。冷たい風がすっとはいってくる。行手をすかして見ると、道が山の向《むこ》うへ廻っていて、前の馬車が見えなかった。
 私達の馬車も、その道を上り切ると、駆け出した。私は舌をあらしているのに懲《こり》もせず、煙草を取り出して火をつけた。そして路の傍《わ》きを見ると路に沿って山吹や木苺が叢生していた。月見草の種がはじけたまま枯れた莖もその中に絶えることもなく続いていた。

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